売上高100億円への軌跡
北海道から世界に誇るホテルブランドを創出【鶴雅ホールディングス株式会社(北海道釧路市)】
2025年 7月 24日

北海道に14のホテル・旅館を擁する鶴雅ホールディングスは、日本を代表する旅館・ホテルチェーンの一つだ。大西雅之社長が、阿寒湖畔で父が創業した阿寒グランドホテルの経営を引き継いだのは34歳の時。客単価4000円台で薄利多売にあえぐ経営から、1泊10万円を超える部屋もある高級旅館・ホテルを展開する今日の姿に至るまでには、多くの苦難と創意工夫があった。グループ全体で売上高100億円超を達成しているが、大西社長は「規模の拡大を追っているわけではない。目指すのは、世界に誇れるブランドとなるホテルをつくること」と言い切る。
同社は傘下に鶴雅リゾート株式会社、鶴雅観光開発株式会社、株式会社網走北天の丘など7社を擁する持ち株会社形式を採る。経営するホテルは、北海道の阿寒摩周国立公園、網走国定公園、支笏洞爺国立公園、ニセコ積丹小樽海岸国定公園、大沼国定公園と、いずれも国立公園・国定公園エリアに立地している。国立公園に宿泊施設を立地するには、自然環境保護への厳しい制限や開発へのさまざまな規制に配慮することが求められる。反面、これらが異業種や大手資本の参入障壁ともなり、地場資本でも長期的な視点に立った経営が可能になる。同社はあえて規制の厳しいエリアのメリットを活かしながら、宿泊客が国立公園の素晴らしい景観を楽しめる施設を運営している。
古い体質の旅館経営

大西社長は両親の教育を受けさせたいという方針もあり、高校時代から親元を離れ、札幌の高校に進学した。その後東京大学経済学部に進み、卒業後は東京で銀行に入行した。「親から一度も帰ってこいと言われたことがなかった。旅館業はオーナーとして関わればいいと思っていた」と当時を振り返る。しかし、銀行という大きな組織にいると、若いうちはやりたいことがやれないことが分かってきた。そんな時に、両親が病に倒れたと連絡が入った。小さいながらも自分の考えで経営できる家業に飛び込んでみようと決意し、北海道に戻った。1981年のことだった。
その後7年間、父である社長とともに、家業に取り組んだ。「経営の考え方が父とは違うので、よくぶつかって喧嘩もした。私は従業員に対してなんでもオープンにしていく考えだったが、父は『会社の経営内容は極秘事項、従業員にも伝えるな』と言う。それでも7年間一緒に仕事ができたことは私にとってありがたいことだった」。当時の同社は阿寒地域に立地する同業の中で5番目のランク。主要な団体客単価は4000円台と低かった。大西社長(当時は専務)は営業・予約から資金繰りまで東奔西走の日々を送っていた。
当時の旅館経営は大口の団体旅行をいかに獲得するかが重要だった。さらに、従業員の中でも料理部門は、旅館に雇われているものの、地域の調理師会に所属し、その親方との上下関係を優先する気風が強かった。業界では、旅館の女将が板長に「経費を考えて、食材ロスを減らして」などと言おうものなら、「そこまで口を出されるなら、お暇をいただきます」と包丁をさらしに巻いて、弟子達も一緒に全員辞めてしまうということもあったという。大西社長は「古い体質の業界で、企業としての体をなしていない。こんな経営のあり方でいいのか」と疑問を抱いていた。
突然の送客停止宣言

1987年、大手旅行代理店のJTB(株式会社日本交通公社、現株式会社ジェイティービー)から突然の連絡が舞い込んだ。「宿泊者のアンケートでおたくの旅館の評価は58点でした。当社の規定で60点を下回るサービス水準の旅館には、お客さんを紹介できません」という送客停止宣言だった。宿泊単価が低い同社は、施設のキャパシティを超えるほどの団体客を受け入れることで売り上げを維持していた。これがサービスの低下を招いていた。当時、同社の売り上げの5割くらいはJTBからの送客に頼っていた。それが停止となれば、事業が立ち行かなくなるのは明らかだった。実際、JTBの西日本エリアからの送客はその年から停止となったが、一定の配慮もあり東日本の営業本部から「1年だけ猶予をあげます。その間に立て直してほしい」と言われた。九死に一生の思いで、従業員も一丸となって、量から質への転換を目指し始めた。結果として1年で評点は改善し、送客停止通告は解除となった。「その知らせを受けたときは、泣いている従業員も多数いた。しかし、この送客停止がきっかけとなって、早い時期に改革に取り組むことが出来たことは幸運だったと思っている。食べていける間は、なかなか変わることは出来ないものだから」と言う。
34歳で社長に就任

1989年、父親の死去に伴い社長に就任した。送客停止という苦い経験を経て、何とかサービス品質を高めようと、評価点80点を目指す「チャレンジ80」を掲げて取り組んだ。資金繰りは相変わらず厳しく、設備に大きな金はかけられない。一番改善できるのは、料理だと考えた。当時の宿泊料金は事実上旅行代理店に決定権があった。そこで「思い切って3000円単価を上げてもらったら、それをすべて料理の質向上に使います」と説得した。単に料理の質を上げるといっても納得されないため、通常のメニューに加えて三大蟹をメインにした別膳を追加するといった目に見える作戦に打って出た。これが奏功し、お客からも「あそこは建物は古いが料理はおいしい」と評判になるようになった。
次に取り組んだのが、接客の質向上だった。「コミュニケーションカメラ」と「アンケート評価システム」を導入した。コミュニケーションカメラは、館内に50台のテレビカメラを設置して、従業員の稼働状況をリアルタイムで把握し、指示役が多忙な部署に暇にしている別の部署の人員を即座に向かわせるという人員配置の最適化を実現させた。この仕組みは接客の質向上にも役立った。それまでは、例えば、経験の浅い従業員が担当のお客から「うちの子どもは肉料理が苦手、魚料理に代えてほしい」と言われても、調理部門に伝えると「今からそんなことは無理」と怒られていた。そういう経験をした従業員は、次に客から同じ要望があると、即座に断るようになっていた。そこで、従業員が客から要望を聞くと、それを各階にあるコミュニケーションカメラを通じて指示役に伝えるだけでいいことにした。指示役から調理部門など担当部署に要望を伝えることで、お客の要望に極力対応できるようにした。こうしてノーの接客からイエスの接客へと転換させた。
アンケート評価システムは、客が記入したアンケート結果をコンピューターで自動的に読み取り集計し、結果を全部署の従業員が共有する仕組み。全てのホテル・旅館について、従業員のサービス、部屋、夕食、朝食、大浴場など項目ごとに100点満点で評価された結果が毎日公表される。自分が提供したサービスが評価結果として即座に現れることで、従業員の意欲が高まった。さらにグループの他のホテルよりも1点でも高い評価にしたいと、競い合う気持ちが生まれ、よりよいサービスの提供が加速していったという。同社は2000年代初頭からこうしたシステムを導入していった。デジタル化を経営に積極的に採り入れた先鞭であり、評判を聞きつけた他のホテルや旅館からの見学依頼も殺到した。同社は隠すことなく、このシステムを紹介し、ソフトウエアも提供するなど協力を惜しまなかった。
多拠点展開で成長路線に

サービスの質向上は着実に成果を生んでいた。しかし、設備面での見劣りはいかんともしがたいものだった。大西社長はそこで大きな決断をした。別館の建設である。投資額は36億円。売上高18億~19億円の会社にとって無謀ともいえる額だった。親代わりだった町長や地元観光業界の重鎮もこぞって反対した。それでも決意は揺るがなかった。「薄利多売の経営では社員も施設も疲弊するばかり、このままでは続けられない。客単価を上げられる施設が必要だ」と、設計図を持ってメイン銀行の本店に日参した。銀行の融資担当常務も熱意に動かされ、様々なアドバイスと共に、一年早い着工を承認してくれた。
一世一代のチャレンジで完成させた別館の客室は49室。当時、一部の高級旅館で始まっていた露天風呂付きの客室も19室設けた。大浴場には屋上露天風呂や地下の洞窟温泉など19もの大型浴槽を作った。また、ホテルのブランドとして「鶴雅」を新たにつけた。1室あたりの投資額は7000万円と、当時の建設相場なら豪邸が建てられる贅沢なものだった。誰もが投資の回収は無理だと思われていたが、ふたを開けると、道東にこうした施設がなかったことから、人気を呼んだ。2002年、この別館を含めた「あかん遊久の里鶴雅」は、JTBのサービス最優秀旅館ホテルに選出され、全国4600軒の旅館・ホテルの頂点に立つことになった。送客停止宣告から始まった改革が大きな花を咲かせた瞬間だった。
鶴雅別館の成功をきっかけに、多拠点化を推し進めた。新築ではなく、道内で経営が苦しくなった旅館やホテルを引き受けて、そこに大きな追加投資をして一新させるという手法を採った。「一からつくるよりも低いコストでホテルを再生できる」という考えからだ。当初は阿寒湖温泉で複数店舗化を進めていたが、ある時常呂町の助役が同社を訪れ「サロマ湖にある大手ホテルチェーンのホテルが廃業する。何とか助けてもらえないか」と頼まれた。この時も「大手がやれなかったところで、当社がうまくやれるわけがない」と役員の殆どが反対した。大西社長は阿寒から別のエリアに出るチャンスと考え、引き受けた。こうして毎年のように新しいホテルを道内に開業させ、現在の14ホテル体制を作り上げた。
コロナ禍で全館リニューアルに着手

2015年に創業60周年を迎えたのを期に、同社は鶴雅ホールディングス株式会社を設立し、持ち株会社体制へと移行した。2020年2月期にはグループ全体で売上高108億円と順調に成長を続けた。そんな同社を襲ったのが、新型コロナウイルス感染症だった。緊急事態宣言の発令で一時は全館、その後も一部施設の営業を休止する状況に陥った。大西社長は当時、後継者を長女の大西希副社長に決め、自身は引退する気持ちでいた。休館中は、自宅で庭の手入れをする日々を過ごしていた。しかし、コロナ禍の猛威が収まらない状況を見て、引退している場合ではないという気持ちがふつふつと湧いてきた。「久しぶりに会社に出社すると、役職員全員が元気を失いうつむいている。『引退は撤回する』と言い、同時に『コロナでお客様が少ない間に全館リニューアルする』と宣言した」。そして、洞爺湖や網走湖で高級ホテルを新規に稼働させ、同時に、既存施設も宴会場を小規模な会食が可能なスペースへとリニューアルさせたり、チェックイン・チェックアウトを非接触で行なえる端末の導入を進めたりと、効率化とサービス向上を進めた。これらの投資には、経産省の事業再構築補助金や観光庁の既存観光地の高付加価値化補助金,環境省の上質化補助金など、国の支援策をフル活用した。大西社長は「座右の銘であるフランスの哲学者アランの『悲観は気分だが、楽観は意思である』が力を与えてくれた。結果として、ビヨンドコロナ時代を見据えた企業の方向性や組織の再構築ができた。当社が変革するきっかけになった」と振り返る。
また、日本旅館協会会長に就任し、全国の苦境に立つ旅館・ホテルの再生にも尽力した。国が創設した新型コロナ対策資本性劣後ローン(⺠間⾦融機関が資本とみなすことができる⻑期間元本返済のない融資)について、当初は上限が7億円強だったものを金融庁に掛け合って30億円まで増額させるなど、資金繰り改善に先頭に立って取り組んだ。
北海道の魅力を世界に

2023年9月、体験型観光の国際サミット「アドベンチャートラベル・ワールドサミット(ATWS)」が北海道で開催された。サミット開催中に道内31カ所でツアーが開催された。大西社長は2016年からATWSに参加し、早い段階から国や道と連携して同サミットの日本誘致に取り組んできた。「北海道の大自然を楽しんでもらうには、高付加価値な滞在型リゾートを推し進める必要がある」との思いからだ。北海道には豊かな自然環境とアイヌ文化がある。これらを活用して、長期滞在が可能な観光資源を開発して付加価値を高め、観光客から獲得する収益が地域に落ちるしくみをつくる。同社は2018年に体験型観光を提供する拠点「SIRI」を開設し、トレッキングやサイクリングなどさまざまなアクティビティーの企画作りやガイドの育成を進めてきた。また、アイヌ文化を継承するために、北海道を代表する彫刻家の藤戸竹喜氏や瀧口政満氏の作品を収集し、ホテルのロビー空間にギャラリー展示している。阿寒湖観光船の乗り場近くには、世界的なネイチャーガイドで写真家でもある安藤誠氏の作品を常設展示する「阿寒アートギャラリー」も開設した。
阿寒には近い将来、大手外資系ホテルチェーンの進出が決まっている。大西社長は地元関係者とともに、早い段階から事業会社と折衝し、進出条件を協議してきた。「先方との話し合いで、最上位ランクのホテルブランドで来てもらうことで合意している。それにより、地域の価値を高めることにもつながる。決して脅威ではなく、既存の旅館・ホテルとも共存していける関係になる」と言う。地域全体で高付加価値型の観光拠点へと転換させるために、地元企業や自治体と協力して、飲食店の新規開業など、魅力づくりに取り組んでいく考えだ。
規模拡大より世界があこがれるホテルづくり

大西社長は、北海道出身で成功した経営者と話していると「大西君はどうして道外にでないのか。海外にも出るべきだ」と問われることがあるという。それに対して「私自身は目指す方向が違うと思っている。イタリアのフィレンチェに『ヴィラ・コーラ』という世界の人たちがいつかは泊まりたいとあこがれるホテルがある。そういうわざわざそこを目指して来てもらえるようなホテルをつくりたいというのが私の目標。もちろん、私の次の世代が道外や海外に展開することがあってもいいとは思っている」と、規模拡大よりブランド力の強化を見据えているという。インバウンドの拡大で大西社長が思い描くホテルづくりも現実味が高まっている。今年は、支笏湖ヴィレッジ構想の下、新たに3軒目のホテル建設に着工している。さらに全道域のネットワーク化に向けた道北エリアの南富良野に拠点作りも進める。また、今後の成長戦略の一つとして、他のホテル所有者から運営のみを受託するMC契約にも着手する。北海道を拠点に「観光立国日本」をけん引する役割に期待したい。
企業データ
- 企業名
- 鶴雅ホールディングス株式会社
- Webサイト
- 設立
- 1955年株式会社阿寒グランドホテル(現 鶴雅リゾート株式会社)創業 2016年鶴雅ホールディングス株式会社設立
- 資本金
- 5000万円
- 従業員数
- 871人
- 代表者
- 大西雅之 氏
- 所在地
- 北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4-6-10
- 事業内容
- ホテル業経営、飲食店経営、土産物等の販売、旅行代理店経営