社内で『軽井沢建築社』が設立されたとき、一番目を輝かせたのが関氏だった。武蔵野美術大学で空間デザインを学び、潜在的な高い機能や意味のあるデザインに強いあこがれをもつ関氏にとって、このパッシブ冷暖®は理想そのもの。過酷な地でその真価を証明することに心躍らせ、清水社長から任務を命じられると二つ返事で引き受けたという。
そうして現場監督とふたり、軽井沢にやってきた関氏。東京都出身で田舎暮らしも初めて。右も左もわからなかったが、「競合がいるとは思いもしなかった」ため、それほど気構えてはいなかったという。ただ、事務所を構える場所には気を遣った。ただの家ではない。それを印象づけることができるよう、不動産会社が立ち並ぶ駅前は避けようと思った。
はじめのうち、参創ハウテックの顧客がかねてより所有する別荘の建て替えを行うことになった。気候が違うため技術も異なるにちがいないと、なじみの職人ではなく地元軽井沢の職人に施工をオーダーしたところ、実は彼らには断熱の知識がないことがわかった。軽井沢の別荘は避暑地とすることが多いため、寒い冬を乗り越える住環境にする必要がないのだ。しかし、軽井沢でやっていく以上、東京から職人を呼んで建設するのは現実的ではなく、地元の職人の協力が必須と考えていた。幸い、地元の職人には若い人が多く、パッシブ冷暖®の仕組みなどを話すとかえって興味をもって引き受けてくれた。現場監督も付きっきりとなって無事に家を完成させた。胸をなでおろしたが、軽井沢が“夏の町”であることを痛感した瞬間だった。
このときの施主夫妻は清水社長と懇意にしている人で、半信半疑で『パッシブ冷暖®』を取り入れてくれたのだという。完成した家で「初めて軽井沢の紅葉を見たよ!」とうれしそうに報告してくれ、「来年は軽井沢滞在をもっと延ばそうと思う」と冬を楽しみにしていると話してくれた。夏しか滞在したことがなかった夫妻のその言葉は、寒い軽井沢でも快適な冬が過ごせるという証明だ。このことは非常に大きな励みになった。