あの人気商品はこうして開発された「飲料編」

「ワンカップ大関」日本酒への固定観念を払拭する

「あの人気商品はこうして開発された!」 「ワンカップ大関」-日本酒への固定観念を払拭する 1964年10月10日、「ワンカップ大関」が発売された。このガラスコップに入った日本酒は、当時の日本酒に対する固定観念を打ち破ることをめざして開発された。その固定観念とは…

「ワンカップ大関」の発売は1964年10月10日。日本初の五輪、東京オリンピックの開催と同じだ。その開発は3年前の61年に遡る。当時の日本酒に対する固定観念の打破をめざした開発だった。

開発へ向けた8つのポイント

日本酒に対する固定観念。それはなんだったのか。

当時の日本酒は1升ビン入りで売られていた。それ以外の容器はなかった。だから、日本酒といえばまず1升ビンがイメージされた。そして1升ビンのイメージといえば、酒店、オヤジ、よっぱらい、などがまっ先に浮かんだ。まさにネガティブな印象。これを払拭するためには若者に支持される商品を開発することが重要と考えた。

また、酒場で日本酒を飲むときは徳利やコップに入って提供される。そうなると当然客には銘柄がわからない。一方、ビールのようなビンで提供されるアルコールはラベルによって銘柄を訴求できていた。

銘柄のわかりにくい状況をなんとか打開したい。日本酒の銘柄の認知度をビールやウイスキーのように高める。そんな意図もあった。

ガラスコップ入りの商品で日本酒を若者に訴求させる。そんな常識外の発想から「ワンカップ大関」は開発された(1962年)

そこで大関は、持ちやすくてどこでも飲める容器の日本酒の開発をめざした。開発のポイントは8つだった。

1.若者をターゲットにする

2.立ち飲みイメージを払拭する

3.コップで飲むことをかっこよくアピールする

4.中身は一級酒にする

5.ワンタッチで開けられるふたにする

6.容量は180mlにする

7.広口びんを使う

8.機能的なデザインを重視する

当時はいまと違い、立ち飲み屋とは酒店の一隅で木箱を卓にして飲むスタイルであり、客層は中年の男性ばかりだった。しかも、ガラスコップに日本酒を注いで飲むことが多かったため、「コップ酒=ダサイ、オヤジ」というイメージが世間に定着していた。それをあえて逆手に取り、「コップ酒=かっこいい、若者」に転換するような商品開発をめざしたのだった。

1升ビンにしろコップ酒にしろ、日本酒をめぐるネガティブイメージをあえてコップ酒で払拭しようという試みは、当時としては常識を超えたチャレンジ以外のなにものでもなかった。

「ワンカップ」か「ワンコップ」か?

63年に8つのポイントを掲げて開発が始まった。技術的には容器の開発が最大のポイントになった。当時、取引していた容器メーカーがジャムの広口ビンの製造機械を米国から導入することになり、それを応用してビンづくりを始めた。その際、最も懸念されたのがカップのふただった。発売後もしばらく悩まされたふたを完全なものにできたのは6年後だった。

8つのポイントから開発されたワンカップ大関は、目標通り64年10月10日に発売された。商品名でもこだわりが発揮された。開発段階では微妙な2つのネーミングで社内が割れた。「ワンカップ」と「ワンコップ」だった。当時の社長の息子で新商品企画を先導した長部二郎氏(故人)は、自らの英会話学習の経験から、コーヒーの数え方、「one cup of coffee」に倣って「ワンカップ大関」とネーミングすべきと主張。これに対して社長は「日本人なのだからカップではなくコップだ」と「ワンコップ大関」と反対する。しかし、「ワンコップ」は当時の立ち飲み屋の通称「ワンコップスタンド」をイメージさせてしまう。それを避けることとネーミングの印象の新しさから「ワンカップ」に軍配が上がった。

発売後の出だしは決して順調だったわけではない。新しいものへの抵抗感が販売店(酒店)にはあり、それを払拭するために営業マンは取引先の酒店に売り込みに回った。若者向け商品である、飲む場所を選ばない、など新商品の特徴を熱心に説いていく。その効果が発揮されて初年度には69万本を売り上げた。

猛烈な勢いで成長

が、前述した最大の懸念であるふたの問題が発覚した。当初は発泡スチロール製の薄いシートを金属のふたとの間に挟んでいたが、この構造のふたではカップを横にすると酒が漏れ出してしまったのだ。販売店や消費者からの苦情が殺到した。一時は販売停止も考えたほどの事態だったが、改良を重ねて5年後に合成樹脂製のパッキンをふたの裏に付けたキャップ(ティアオフ式キャップ)を開発することで液漏れを解決した。

ふたの問題があったにもかかわらず、ワンカップ大関は発売の翌年に120万本、69年に1850万本、79年には1億本と猛烈な勢いで成長し続けた。

60年代の成長の大きな要因は、66年、鉄道弘済会(キヨスク)との取引だった。それまでの長距離の電車内で飲む日本酒は、小ビンからキャップに注いで飲むスタイルだった。これは電車に揺れに起因してこぼしてしまう不便さがあった。が、ワンカップならば直接びんを口にするためその心配がない。キヨスクが販路拡大の大きな要因になった。

自動販売機で日本酒を売る。始めた当初は目新しい試みだった

また、67年にはたばこ「ハイライト」のパッケージにワンカップ大関の広告を印刷したり、自動販売機を酒店に設置してワンカップ大関を販売するなど、いずれも当時としては真新しい試みだった。

70年代になると他社も続々と参入し、日本酒のワンカップ市場が形成された。72年には大関は「ワンカップ」で登録商標も取得し、ワンカップは大関だけが使えるネーミングとなった。パイオニアに与えられた称号といえよう。

ワンカップ大関のデザインは発売当初から変わらない。濃い青色の地に白抜きの文字。漢字でも平仮名でもなくアルファベットの文字を使った日本酒は当時、珍しかった。ラベルは発売当初はビンに直接プリントしていたが、73年からは紙ラベルに替える。これにより、後にラベルの裏に風景や人物を印刷してマーケティングツールとしておおいに活用した。

低迷する市場へのつぎの一手は

日本酒の市場は約330万石、そのうちカップ酒は22万石を占める。日本酒市場は緩やかに縮小しているが、その中にあってワンカップ大関は約4割のシェアを占める。

女性客へのカップ酒の浸透を図るため2011年に発売された「ワンカップLAGUZ(ラグズ)」

発売以来、「ワンカップ純米酒」「特撰 しぼりたて純米」などアイテムを増やしてきたが、現在は「上撰金冠ワンカップ」を中心に「ワンカップ大吟醸」「ワンカップジャンボ」「ワンカップミニ」など9アイテムを展開する。

低迷するカップ酒市場でシェアを伸ばしていくためには、新しい購買層へのアプローチが欠かせない。その1つが若年層への訴求であり、その対策として2010年に若手女優の貫地谷しほりをイメージキャラクターに起用した。

また、女性の購買層を増やすために「ワンカップLAGUZ(ラグズ)」を2011年に地域限定で発売した。これは女性専用をコンセプトに開発されたカップ酒で、日本酒好きな30代後半から40代の女性をターゲットにしている。容量は100mlとライト感覚で飲め、ふたを開ける際につめを傷めない方法をキャップに記載するなど細かい心配りをしている。

発売から半世紀近くを迎えようとするワンカップ大関は、大幅に縮小する日本酒市場に向け、さまざまな商品展開でその打開を図ろうとしている。

企業データ

企業名
大関株式会社
Webサイト
代表者
代表取締役社長 西川定良
所在地
兵庫県西宮市今津出在家町4-9
Tel
0798-32-2111

掲載日:2011年12月 9日