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地震で製品の力を再確認、能登から世界トップに挑戦「株式会社白山」

2025年 1月 14日

米川達也社長
米川達也社長

2024年1月1日。株式会社白山(石川県金沢市)は、能登半島を襲った大規模地震で主力工場が大きな被害を受けた。被害や復旧の状況を知ろうと世界の大企業から問い合わせが相次いだ。自分たちが製造する製品が、どれほど世界で重要な役割を果たしているのかを再認識することとなった。同社の多心光コネクタ用部品「MTフェルール」の世界シェアは現在第2位。世界トップを獲得し、真のグローバルニッチトップ企業へと変貌する挑戦が加速している。

金融機関に突き付けられた「取引停止宣告」

白山の経営を救った光コネクタ部品「MTフェルール」
白山の経営を救った光コネクタ部品「MTフェルール」

2012年、現在白山の社長を務める米川 達也氏は、35年勤めたNTTを退職し、NTTのあっせんで白山製作所(現白山)の副社長に就任した。同社の製品の売り先の大半はNTT。いわゆる〝電電ファミリー〟で、歴代の社長はNTT出身者が占めていた。ところが、取引先金融機関の支店長を訪問するや言われたのは「今後一切支援できません。中小企業再生支援協議会(当時、現中小企業活性化協議会)に行ってください」という衝撃の言葉だった。「一体何がどうなっているのか」。米川氏はいきなり突き付けられた事態を呑み込めずにいた。長年経営数字は粉飾され、実態は債務超過。経営は火の車だったことをその時初めて知った。当時の白山の主力事業は、家庭用電話機に使われる雷防護製品(加入者保安器)。しかし、通信市場はモバイルへの移行が急速に進んでいた。家庭用回線も光ファイバーが主流となり、同社の主力製品は無用の長物となりつつあったのだ。再生支援協議会の担当者からも「会社をたたみますか」と言われる始末。それほどに、同社の事業の将来性は暗かった。

思い悩む中で導いた結論は「絶対に逃げない」だった。米川氏は会社の再建に取り組む決意を固め、2014年に社長に就いた。まず固定費を下げることから着手した。埼玉県飯能市にあった主力工場を売却、製造拠点を石川県志賀町にある子会社に移管した。2016年に本社も東京から金沢市へ移転、社名を白山に変更した。一方で退職せざるを得ない社員への身の振り方は米川社長自身が対応し、全員を再就職させた。

売り上げ比率3%の事業に全力集中

サブミクロンレベルの精密加工が世界から評価
サブミクロンレベルの精密加工が世界から評価

固定費の大幅削減で赤字を止めることには成功した。しかし、事業を変革させなければ経営を維持することはできない。同社が会社の将来を託したのが、光ファイバーを一括で接続する樹脂製部品「MTフェルール」だった。当時、会社全体の売上高は約30億円で、MTフェルールは1億円に届くかどうかという最も小さな事業。米川社長は大量の光ファイバー回線が集まるデータセンターに、この技術は必要不可欠になると目を付けた。しかし、技術者が細々とMTフェルールの開発を続けてきたものの、国内の需要はほとんどない状態だった。「それなら、海外で売ろう」。海外に売り込みをかけても最初は日本の弱小メーカーの製品は相手にされなかった。ある時、米国の大手通信事業者のベライゾン・コミュニケーションズが競争入札を実施することを聞きつけ参加したところ、他社を押しのけて受注を獲得できた。同社のサブミクロンレベルの高精度の射出成形技術が、光ファイバーの接続に最も重要な相互接続性を保つことができると評価されたのだ。この受注をきっかけに、白山の名前は世界の通信事業者に知られるようになり、新規の注文が相次ぐようになった。米川社長の読みどおり、データセンターはその後世界で相次いで建設されるようになり、MTフェルールの需要も急拡大した。現在同社のMTフェルールの海外比率は9割を超えている。

能登半島地震で被害発生も早期復旧を実現

同社主力工場の石川工場
同社主力工場の石川工場

AIの利用拡大で、データセンター需要は急増が予想された。白山もそれに対応しようとMTフェルールの増産を検討していた。その矢先に能登半島地震が石川県志賀町にある石川工場を襲った。正月で工場は無人だった。安否確認ツールで従業員全員の無事は確認できたが、一部の従業員宅は損傷したという報告があった。1月4日に米川社長は石川工場に行き、天井が崩落し、窓も損傷、排気ダクトが落下するなどの被害を知った。「これはえらいことだ」と感じたという。ただ、棚等の転倒はあったものの、製造設備は転倒などの大きな損傷はなかった。1月10日ごろから社員が出社してくるようになり、復旧に向けた取り組みが始まった。地元の建設業者がいち早く復旧工事に動いてくれた。日頃から地域の集まりに顔を出し、顔なじみだった建設業者も工場を心配して見に来てくれ、1月中旬から修繕作業に入ることができた。濱本和彦生産システム本部長兼石川工場長は「周囲も大変な中で、当社の復旧にまで手が回らないと思っていたので、本当にありがたかった」と当時を振り返る。

同時に建物被害がなかった事務棟を活用して、仕掛品の生産を1月15日から始めた。最も困ったのが断水だった。水がなければ生産や従業員のトイレ使用も制限される。工場がある能登中核工業団地には、同社の他多数の製造業が立地しており、志賀町に要請して団地のコミュニティーセンターに給水車を派遣してもらうことになった。そんな時、取引先企業から水を貯めるための1200リットルの大型タンクを提供するという連絡が突然入り、すぐにタンク2個と飲料水、衛生用品などの支援物資一式が届いた。この会社は東日本大震災で被災した経験から、災害時に水が重要であることを知っていた。だから、白山から頼まれる前にプッシュ型で大型タンクの提供を決め、準備に入ったのだという。自社でもタンクを1個購入し、合計3個に貯水し、生産やトイレの水などに使用した。石川県の馳知事をはじめ、県職員や志賀町の担当者も駆けつけて、同社の復興を見守ってくれた。米川社長は「従業員が不自由な中でも一丸となって頑張ってくれた」と感謝する。一方で、自宅が被害を受け避難所生活を余儀なくされた社員を訪問して「会社のことは一切考えなくていい。生活再建だけを考えればいいから」と言い聞かせた。後にその社員から「あの言葉を聞けて安心した」と言われたという。

同社は国が被災した企業向けに用意した「なりわい再建支援補助金」を申請し、石川県の被災企業の認定第一弾として、約5000万円の事業補助を受けた。3月29日にすべての工事が完了し、正常な生産活動に戻すことができた。

見知らぬ取引先からの連絡

棚や備品は転倒したものの、設備の転倒はまぬがれた
棚や備品は転倒したものの、設備の転倒はまぬがれた

同社は被災や復旧状況をきめ細かくウエブサイトに掲載していた。第一報は1月2日。最終報は4月3日の復旧まで続けられた。すると、それを見た世界中の企業から次々と連絡が入るようになった。中には超大手IT企業や通信事業者もいた。「いつから生産を再開できるのか」「出荷はできるのか」「何か支援できることはないか」などなど。実はそれまで同社の製品は専門商社を経由してユーザーに提供されており、自社製品がどこで使われているのかについて、詳細なデータを持っていなかった。地震被害をきっかけにユーザー企業と直接つながることができ、米川社長は「当社製品がこれほどまでにデータセンターに必要不可欠な部品であることを思い知らされた」と、供給責任の重さを痛感したという。同社はこの経験を踏まえ、今後生産拠点の複数化などBCP(事業継続計画)の見直しに取り組む。

世界トップへ大手の傘下入りを決断

復旧工事の様子
復旧工事の様子

同社は2024年11月に光ファイバー大手の古河電気工業に株式67%を譲渡すると発表した。同社のそれまでの筆頭株主はファンド事業者であり、いずれは株式が売却されることは分かっていた。また、米川社長も自分が社長を退いた後の経営体制についてどうしていくべきかを考えていた。さまざまな提携の申し出があったが、最終的に古河電工グループ入りを決断した。何よりもMTフェルールで世界トップになるためには、グローバルで展開する体制が不可欠だと判断した。トップへの道は楽ではないが、可能性がないわけではない。例えば、現在開発中の液浸冷却対応の多心光コネクタは、最先端のデータセンターの冷却システムに対応したものだ。データセンターのサーバーからは大量の熱が排出される。それを冷却するために、これまで空冷、水冷が用いられてきたが、それだけでは対応できず、サーバー全体を専用の液体に浸し、直接冷却する液浸冷却が主流になると言われている。ただその液体自体は、屈折率が光ファイバーと異なるため、仮にその液体が、光ファイバー間に入った場合、光接続に影響を及ぼす。そのため、光ファイバーの接続も専用の技術が必要になる。同社はこうした最先端の開発にも率先して取り組んでいる。米川社長は「先を読んだ開発と中小企業ならではの小回りとスピード感で勝負すれば、勝機はある」とみている。NTTが取り組む次世代光通信「IOWN構想」にも中小企業として唯一参加している。

またMTフェルール事業による一本足経営からの脱却にも取り組む。雷防護製品に過度に依存し、辛酸をなめた過去を忘れてはいない。樹脂をサブミクロンレベルで成形できる射出成形技術を他分野にも生かそうと考えている。医療分野などをターゲットに探索を進めているという。

能登復興への思い

社員が一丸となって復旧に取り組んだ
社員が一丸となって復旧に取り組んだ

能登半島地震で大きな被害を受けながらも、同社は様々な支援を得て早期に事業を再開させることができた。しかし、周囲を見渡せばまだまだ復興は途上にある。特に地震で甚大な被害を受け、豪雨災害にも見舞われた輪島市や珠洲市、能登町は今後どうやって地域を再生していくのかも見通せていない。同社はまず、旅館の従業員など、地震で職を失った人たちに「何人でもいいし、一時的でもいいので、当社で働いてください」と表明している。さらに、能登で新しい産業を興すことにも積極的に参画していく。「赤字で苦しんでいた当社は石川県に移転することで、再生することができた。これからその恩返しをしていきたい」。能登から世界に挑戦する企業だからこそ、地域の復興にも力を注ぎたいと考えている。

企業データ

企業名
株式会社白山
Webサイト
設立
1947年10月
資本金
1億円
従業員数
131名(2024年12月時点)
代表者
米川達也 氏
所在地
石川県金沢市鞍月2-2 石川県繊維会館1F
Tel
076-255-2875
事業内容
通信及び電力に関する接続用品、光通信関連製品、雷防護用製品、加熱圧接機等の金属接合機械、環境・エネルギー関連製品の開発・製造・販売ほか