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痛みを伴う“荒療治”で長年の悪しき慣習を打ち砕く「株式会社小菱屋」

2025年 4月 7日

父親の跡を継いで改革を進める小菱屋2代目社長の所恭平氏
父親の跡を継いで改革を進める小菱屋2代目社長の所恭平氏

「できない!」「できるだろう!」—。2代目社長のもと改革に乗り出した創業50年余の豆腐メーカー、株式会社小菱屋(こびしや)では、幹部社員と支援にあたるアドバイザー(AD)との間で激しいやり取りが繰り広げられた。痛みを伴う“荒療治”だったが、会社を良くしようという共通の思いで長年の悪しき慣習を打ち砕く結果となった。まだまだ山積の課題の解決に向けて同社の挑戦は続いていく。

創業50年余、「決して妥協を許さない豆腐作り」

独自のこだわり製法を貫く
独自のこだわり製法を貫く

愛知、岐阜、三重の3県に広がる濃尾平野。その中央に位置する愛知県稲沢市に本社工場をはじめ4つの工場を構える小菱屋は1973年9月に現会長の所義勝氏が創業した。当初はこんにゃくやところ天を製造していたが、1978年に工場を増築したのを機に豆腐類の製造を始めた。1984年に法人化して有限会社となり、さらに1993年に株式会社へ組織変更した。

規模と価格の競争で同業者の廃業や吸収合併が進むなか、同社は納得のいく原材料を厳選し、独自の製法にこだわり、「決して妥協を許さない豆腐作り」との姿勢を貫いている。バブル崩壊後も工場の新築・増築や直営店の出店を続けたが、リーマンショック以降は一転して直営店の撤退を進めた。経営が厳しさを増すなか2016年4月に父親の跡を継いで社長に就任したのが長男の所恭平氏だ。

ようやく実権を握るも不適切な残業など問題山積

小菱屋は4つの工場を有する
小菱屋は4つの工場を有する

社長交代後も実権は会長になった父親が握ったままだったが、経営状態が悪化の一途をたどるなか、かねてより付き合いのあった税理士が親子の間に入る形で父親を説得。ようやく父親は経営の一線から退くことになった。「野球にたとえれば、チームがピンチを迎えるなか9回裏までベンチで待たされていた格好なので、実権を持てた時は不安などなく、『やっとプレーできる』という楽しみの方が大きかった」と話す所社長は改革に着手した。

まずは社内の現状把握に取り掛かった。すると様々な問題点が明るみに出た。作業の手順書やマニュアルはなく、「見て覚えろ」という昭和の職人気質だった。工場内の2S(整理・整頓)も行われておらず、一度使った工具は元に戻さず置きっぱなしで、倉庫内は商品づくりの原料と工具などがいっしょくたという状態。製造部副本部長兼第5工場長の井戸久司氏は「足の踏み場もない。どこに何があるかわからない。目的の物を探すだけで相当の時間を費やしていた」と振り返る。

なかでも大きな問題が残業だった。季節で売り上げが大きく変動する商品を扱っている同社では繁忙期と閑散期があるにもかかわらず、社員の残業時間は年間ほぼ一定。残業ありきの給与水準を維持しようとする一部の幹部社員が残業時間をコントロールしていたのだ。管理部本部長兼品質管理部長の長谷川芳紀氏は「当時の工場長から『お前の残業時間は月80~100時間だよ』と言われた」という。自分だけ残業時間が多いと目立つので、他の社員にも長時間の残業を一方的に押し付けていたとみられる。製造部本部長兼第4工場長の岩田健二氏も「上司からは『長い残業が当たり前』と言われた。食品メーカーでお盆や正月の休みも十分にないなか、これが普通なのか、とずっと疑問に思っていた」と話す。

ハンズオン支援で“剛”のADと「売り言葉に買い言葉」

プロジェクト活動時の様子
プロジェクト活動時の様子

こうしたなか同社は2019年以降、ハンズオン支援事業(特定)とハンズオン支援事業(総合)を合わせて5回の支援を受けることになった。所社長のほか、幹部社員をプロジェクトメンバーに選び、受け入れ体制を整えた。最初のハンズオン支援事業(特定)は同年9月~翌年1月に行われ、まずは本社工場について、品質向上に向けた体制整備を進めた。

2020年10月から2回目の支援となるハンズオン支援事業(総合)1期がスタート。これが大きな転機となった。派遣された西口友章AD(当時)は自動車業界の出身者で、「前任者(宝田博夫AD)が“柔”だったのに対し、西口ADはまさに“剛”」(所社長)というタイプ。あまりの温度差に社員からの拒絶反応は非常に大きかった。たとえば、いろんなものがごちゃ混ぜになっていた倉庫。西口ADから「次の会合までに整理・整頓しろ」と言われたが、数週間でできるものではなく、メンバー全員が「できない!」と反発。西口ADも負けずに強い口調で「できるだろう!」と言い返した。売り言葉に買い言葉のやり取りが続き、とくに井戸氏とは一触即発の場面もしばしばで、「二人を冷静にさせるのが私の役割だった」と所社長は気をもんでいた。

「会社のためだろう」 熱い人と最後に“グータッチ”

置き場所を決めたことで工具の放置は少なくなった
置き場所を決めたことで工具の放置は少なくなった

それでも、反発心がかえってバネになったのか、西口ADからの難題に対し、相手を見返してやろうという気持ちで取り組んでいった。やがてプロジェクトメンバーはあることに気づいた。「言われたことをやってみると確かに仕事はやりやすくなった」と。宿題として課された倉庫の整理・整頓によって内部は整然となり、探すだけで時間が取られるというムダがなくなった。工場ごとに工具の置き場所を決めたことによって、使った工具は元に戻されるようになり、どこかに放置されることは少なくなった。

西口ADからは一連の取り組みに対して「誰のためにやっているの? 会社のためだろう」と改めて諭されたという。時に感情をぶつけ合った井戸氏も今はこう話す。「言葉はきついが、あの人なりの愛情をもって私たちの会社のことを気にかけていたのだと思う。とにかく熱い人だった」。

西口ADによる支援は2021年4月まで及んだ。最後の報告会のあと、会社の駐車場でプロジェクトメンバーに見送られた際、車に乗り込む前に西口ADは井戸氏に向かって拳を突き出してきた。挑発ではなく、折からのコロナ禍で握手に代わって盛んに行われるようになった“グータッチ”だった。井戸氏もそれに応じた。「正直言って憎たらしいという思いは残っていたが、改革の形をつくってもらったわけだし、グータッチはうれしかった」と話す。一方、西口ADは当時を振り返り、「改善メンバーの宿題をやりきる動きが日増しに増大しただけでなく散布図による分析への熱心な取り組みに驚いた。現場の見方・考え方が確実に変わったと感じた」と語った。

働き方改革という旗印のもと残業時間を適正化

一連の支援で品質と生産性の向上が進んだ
一連の支援で品質と生産性の向上が進んだ

半年間に渡る西口ADの熱血指導を経て、最大の懸案事項となっていた残業時間の適正化については、違った形で決着した。残業時間をコントロールしていた当時の幹部社員もプロジェクトメンバーに加わっており、残業の削減に対しては激しく抵抗した。西口ADも「仕事が多い時期も少ない時期も労働時間は変わらない。この会社の仕事量はいったい何と連動しているのか」と強い口調で疑問を呈してきたという。折しも働き方改革関連法が2019年4月から順次施行され、国の政策として残業規制が進められていた時期だった。かつて上司から有無を言わさずに長時間の残業を言いつけられた長谷川氏は「働き方改革という旗印のもと、なんとしても実現する必要があった」と振り返る。

こうした流れのなか、残業規制に抵抗していたプロジェクトメンバーがしばらくして退職した。「残業という砦を死守していたが、崩されてしまった。自分から辞めることを決めたのだろう」と話す所社長は、退職の申し出に対して引き留めはしなかったという。このほか改革に強く反対していた社員数人が会社を去った。「その人たちがいなくなって改革が進んでいった」との声が聞かれる一方で、「それまで一緒に仕事をしてきた仲間だけに、寂しい思いだった」と漏らす社員も。痛みを伴う改革に社員の様々な思いが交錯していた。

改革はまだ1合目から3合目 これからも挑戦を続ける

所氏と共に改革を進めたプロジェクトメンバー。(左から)長谷川芳紀氏、岩田健二氏、井戸久司氏、筧剛氏
所氏と共に改革を進めたプロジェクトメンバー。(左から)長谷川芳紀氏、岩田健二氏、井戸久司氏、筧剛氏

ハンズオン支援はその後、ハンズオン支援事業(総合)2期、ハンズオン支援事業(特定)、ハンズオン支援事業(総合)3期と続いた。一連の支援を通じて、2Sの徹底や残業時間の適正化のほか、生産設備の維持管理による稼働ロスの低減など品質と生産性の向上が進んできた。また、プロジェクトメンバーを中心に社員間の意思疎通が図られた結果、協力体制が築かれてきた。「昔はそれぞれの工場が別会社であるかのように『よそのことは知らない』という状態」(長谷川氏)だったが、今では各工場の担当者が全体を見るようになり、「人手が足りない工場があれば、自分の工場から人を出すという融通もするようになった」(同)という。

もちろん課題はまだ残っている。所社長は「改革はまだ1合目から3合目ぐらいを登っている段階。これからも挑戦し続けていく」と意欲を見せる。2回目のハンズオン支援事業(特定)を受けていた2023年9月に創業50周年を迎えた同社は、ハンズオン支援を機に、次の50年の土台を固めようとしている。

企業データ

企業名
株式会社小菱屋
Webサイト
設立
1973年9月
資本金
5000万円
従業員数
182人
代表者
所恭平 氏
所在地
愛知県稲沢市日下部北町4丁目1番地の1
Tel
0587-21-9222
事業内容
豆腐類、揚類、惣菜等の製造販売