農業ビジネスに挑む(事例)

「こと京都」カットした九条ねぎで年商10億円をめざす

  • 生産品種を九条ねぎだけに絞る
  • カットした九条ねぎを直接飲食店に販売する

九条ねぎの生産・加工で年商10億円を目指す農業生産法人がある。京都・伏見に本社を構える「こと京都」だ。

同社の代表取締役、山田敏之さんは1995年に実家の農業を継いだ。アパレル企業の営業マンを務めていたが一転して農業に従事することになった。

「就農した当時、年商1億円をめざそうと意気込んだのですが、実際の年商は400万円でした。サラリーマン時代よりも収入がグッと下がり愕然としました」

これだけ働いても農業は儲からないものなのか。これではいけない。何か手を打たなければ。そこで1997年、父親の反対を押し切って生産品種を九条ねぎ一本に絞った。それまで家業ではキャベツ、大根、水菜なども栽培していたが、コスト削減と作業効率アップを図るため、種まきから収穫までのサイクルが早く、1年を通して栽培できる九条ねぎに生産品種を絞ったのだ。

九条ねぎは京都府認定の「京の伝統野菜」として知名度が高く、葉肉が薄く、特有のぬめりがあって味が濃いなど味わいがよい。山田さんは栽培方法を研究して品質向上と作業の効率化を図り、1997年から3年間の年商を1600万円に引き上げた。

また、さらに九条ねぎで儲けるヒントを見出した。従来から京都には産地仲買業者という特有の業種がある。生産者から買った九条ねぎを輪切りにして飲食店などに売る加工業だ。しかも京都市内に100軒ある産地仲買業者のうち5軒の年商が1億円以上という。それら100軒の業者は加工のためにねぎを仕入れるが、自らねぎを生産するのだから鮮度や品質で優位になれ、かつ仕入れ費を削減するなど経営効率も図れるので儲けられる。

ビジネスの大きな飛躍のきっかけとなったカットした九条ねぎ

一路、東京へ

そう考えた山田さんは2000年、カットねぎを携えて東京に向かった。折しも東京は九州ラーメンブーム。それらラーメン店にカットした九条ねぎを飛込みで営業して回った。味と品質には十分自信がある。また、サラリーマン時代の経験から営業にも自信がある。味でしのぎを削るラーメンの激戦地を訪れると、わざわざ京都から農家が直接営業に来たことをラーメン店も快く受け入れてくれた。特に関東ではとんこつラーメンがブームになっていたが、使われていたのが白ねぎだったこともあり、青ねぎの九条ねぎを最大限にアピールするチャンスにもなった。

ラーメン店に的を絞ったことが奏功し、農産物の特徴や品質にこだわる店との取引きが順調に始まり、山田さんはそれまでの市場流通からラーメン店への直販へと九条ねぎ販売のかじを大きく切った。

カットした九条ねぎの直販により2000年に年商を2000万円に伸ばし、さらに取引先のラーメン店を増やすことで2002年には年商9800万円と当初目標の1億円を目前とした。それを機に個人経営から法人(こと京都の前身「有限会社竹田の子守唄」。2007年に現在の社名に変更)を設立し、ねぎをカットするための加工工場を建設・稼動させた。

自前の工場により2003年には年商を一挙に2億円超まで伸ばし、さらに京都府内に養鶏場(南丹市美山町)を設け、鶏卵の生産・販売も始めた。カットした九条ねぎの残渣は鶏のエサの一部として再利用でき、かつ鶏ふんはねぎの堆肥に利用できる。一石二鳥の循環農法を築き上げた。のちにこの養鶏場の実績が地元から認められ、同社は美山町で九条ねぎを栽培することになる。

千歳一隅のチャンス到来

2000年にカットねぎのビジネスを始めて以降、地元の農業生産者と委託契約を結ぶことで自社以外にも九条ねぎを集荷するルートを拡大していった。それは顧客への商品の安定供給を図るためであり、九条ねぎの生産から加工、販売までを一貫することで品質、価格でも顧客に安心してもらえる。

京の伝統野菜・九条ねぎに独自の付加価値を与えたビジネスモデルは、2008年にさらに躍進する。そのきっかけが中国冷凍ぎょうざ事件だった。

「それまで中国から大量の青ねぎが輸入されていましたが、この事件を機に国内の外食企業さんの意識ががらりと変わりました」(山田さん)

まさに日本は、農薬混入の輸入冷凍ぎょうざのみならず前年からの食品偽装問題など「食」に関する不祥事がつぎつぎと明るみに出た。それにより安ければいいという風潮から安心・安全な食へと飲食店や消費者の意識に変化が起こった。実際、中国からの青ねぎも輸入が一定期間止まった。それを千歳一隅のチャンスと判断した山田さんは、既に3億を超えていた年商を10億円へと3倍強に成長させるために動き始めた。

「そこで夏季の生産を安定させるため、美山町での生産を始めました」

美山町での生産のきっかけは既述したとおりだが、生産量のみならず品質の確保も企図して2009年の暮れに九条ねぎ生産者グループ「ことねぎ会」を発足させ、その発足にあたり、従来の農業生産者(100軒)との契約を見直し、あらためて24軒の生産者と契約を結んだ。

「ことねぎ会と契約した農家さんには、JGAP認証の取得に努力していただき、当社の販売計画にも参加していただくなど、当社の経営にとって重要なパートナーとなっていただきました」

ねぎは連作障害があるため、同社では生産を3地域(京都市、南丹市美山町、亀岡市)に分けて生産時期をずらしながらリレー栽培するが、安定して高品質の九条ねぎを集荷するためには、自社生産のみならず多方面からの協力者が必要になる。そのためのグループ化がことねぎ会だった。

九条ねぎの集荷の拡大が今後の課題であり、そのための人材育成にも着手する

大量・安定集荷のためには人づくりも必要になる

2010年暮れ、同社は現在所(京都市伏見区)に新しい本社工場を立上げて翌年より稼動。販路もラーメン店などの飲食店のほかに食品スーパー、百貨店へと拡大し、2011年の年商も4億4000万円に達した。さらに2012年は5億9000万円を売上げ、今年(2013年)は7億6000万円まで伸ばす計画だ。

さらに今後を見通すと「ことねぎ会」以外からも集荷を確保する必要がある。

「そこでさらにねぎの集荷拡大と安定化を図るため、今春からは人材育成に注力していきます」

その人材育成とは社内に対するものでなく、新規就農者を育成するシステムを稼動させることを指す。そのため2013年4月から「こと京都の独立支援研修生制度」をスタートさせる。研修者には、1年以上5年以内の研修期間で九条ねぎの栽培から加工、販売までを教え、研修終了後には農地の紹介や行政との関係、資材の斡旋など独立するための多様な支援もする。

年商10億円に向かってさらなる大量かつ安定した集荷体制を築き、こと京都は京都産九条ねぎの出荷で日本一をめざす。

企業データ

企業名
こと京都株式会社
Webサイト
代表者
山田敏之
所在地
京都市伏見区横大路下三栖里ノ内30番地