中小企業NEWS特集記事

震災から5年「仮設店舗で伝統の味を守り続けた被災企業」

この記事の内容

  • 90代の祖父からせんべい作りを教わる孫が新店舗をオープン
  • 新工場建設、長男への承継も視野に入った笹かまぼこメーカー
  • 中小機構は被災市町村の要望に応え仮設施設を641件建設

東日本大震災が発生してから3月11日で丸5年になる。復興庁の調べ(2016年1月時点)によると、被災地域の鉱工業生産は概ね震災前の水準程度にまで回復したものの、営農再開可能面積は74%、水産加工業の再開施設85%、外国人宿泊者数65%の水準と、いまだ復興の道半ばの感が強い。中小企業・小規模事業者関連の動きを中心に、復興に取り組む被災地の現状と今後の見通しを探る。

祖父の味を継ぐ

昨年12月7日、宮城県塩竃市。JR東塩釜駅近くにレンガ造り風のお洒落な建物が完成し、「中山せんべい店」が新装オープンした。3.11以来、4年9カ月ぶりに元の場所に戻っての営業再開だ。店頭に並ぶのは、いわゆる南部せんべいの「手焼 千賀の浦」と「自然の味 かりん糖」。いずれも同店手づくりの昔ながらの商品だ。

店主で創業者の中山清人さん(92)は「もう店をやめようと思ったけど、孫が『俺がやるから教えてくれ』と言うので頑張っている」と目を細める。孫で後継者の大輔さん(32)も「看板商品のせんべいを焼けるようになったのが何よりうれしい」と力を込める。年齢差60歳の師弟がせんべい作りに精を出す傍ら、大輔さんの母親が店を切り盛りする。

大輔さんが清人さんについて修業を始めたのは震災の4カ月ほど前。店番を手伝うたびに、顧客から「ここのせんべいはおいしいから絶やさないで」「ぜひ後を継いで頑張って」などと声をかけられ、「祖父の味を継ぎたい」という気持ちになった。だが、震災で大輔さんの修業は中断を余儀なくされた。津波で店舗兼工場が全壊してしまったためだ。

「祖父が年なので、一刻も早く新しい店を作り、一緒にせんべいを焼きたい」。大輔さんは焦ったが、せんべいを焼くには大がかりな機械が必要なので、店舗兼工場の再建は容易ではない。

「まずは、かりん糖の作り方だけでも教わろう」。迷ったあげく、中小機構が塩竃市内に建設した仮設店舗「しおがま・みなと復興市場」に、完成から1年3カ月後の12年11月に入居。南部せんべいはあきらめ、かりん糖と山形県のせんべい店から仕入れた揚げせんべいを販売することにした。そのぶん、売り上げは落ちたが、新しい土地で、新しい常連客もできた。

将来を見据えて

元の場所での新店舗兼工場建設に踏み切ったのは、仮設店舗が昨年5月末で撤去されることになったためだ。建設資金を工面するため、国のグループ補助金(中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業)を申請した。「補助金をもらうのはすごく難しいという印象があったが、同じ仮設店舗の人に声をかけられ、やってみる気になった」(大輔さん)。申請に当たっては中小機構の震災復興支援アドバイザー制度を活用、「アドバイザーの方に、ものすごくお世話になった」と振り返る。

大輔さんは今、せんべい作りに余裕ができた段階で、新たな販路の開拓やインターネット通信販売なども検討していきたいと夢を膨らませる。清人さんも「これからは店に来るお客さまだけを相手にしていたのでは商売が成り立たない」と、発破をかけている。

前を見て歩く

「前を見て歩き続ける。その歩み方を支援してくれた皆さんにお見せすることが最大の恩返しになると思う」 宮城県南三陸町にある仮設店舗「南三陸さんさん商店街」。明治13年創業の「及善蒲鉾店」を経営する及善商店の5代目社長、及川善祐代表取締役(62)は、同商店街に入居してからの2年間で商売の勢いを取り戻すことができたと話す。

同商店街は、甚大な被害を受けた南三陸町の復興のシンボルと位置づけられ、多くの観光客が押し寄せた。天皇皇后両陛下や安倍晋三内閣総理大臣をはじめ、吉永小百合やEXILEら著名人も激励に訪れている。

当初2年間、組合長を務めた及川社長をはじめ、入居している32事業者がさまざまなイベントを催し、テレビや新聞、雑誌に向けて盛んに情報発信した効果が大きい。及川社長は「みんながベクトルを揃えて一丸となり、明るい笑顔で情報発信する。そのチームワークで、『被災地の商店街でいちばん元気がいい』と言われるようになった」と胸を張る。

及善商店は海岸近くに本社・工場があったため、津波ですべてを失った。及川社長は、避難所生活を続けながら会社の復興に着手。震災直後の11年3月末には隣町の登米市に土地と建物を借りて工場を再建することを決めている。

同年9月にその工場が稼働し、主力商品の笹かまぼこの生産を再開。南三陸町の魚市場近くに、同社を含む水産加工関連4社で共同加工場も建設した。4社のうち同社を含む2社が保有していた土地を町に提供、町が中小機構に仮設工場整備を申請して実現した。グループ補助金も活用して設備を導入。同年12月に稼働させている。

この間、長男の善弥専務取締役(35)は、震災前から出店していた仙台市の産地直販催事場での販売を続行。自社製品の供給が途絶えたときには他社からも商品を仕入れて商売を続けた。被災した本社跡地から自分のかまぼこ用包丁が奇跡的に見つかり、後継者としての意を強くした。
そうした経緯を経て12年2月に南三陸さんさん商店街がオープン。及善商店は入居後、徐々に直販を増やすことができるようになり、年商規模も震災前の水準に近づきつつあるという。従業員も20人とほぼ同数にすることができた。ただ、同商店街は今年11月に設置期限を迎える。今のところ、年末セールまで延期したうえで、来年3月に本設に移行する予定だ。

及善商店は登米市の工場を返却する必要があるため、すでに南三陸町に新しい工場用地を確保した。来年中にはそこに本社・工場を新設する計画。及川社長は「もはや被災者という甘えはきかない。HACCP(危険度分析による衛生管理)にも対応した実力勝負の工場にする」と、善弥専務への事業承継を念頭に気を引き締める。

5年経過後も助成

震災から5年。各地の仮設施設に入居している企業がそれぞれ巣立ちつつある。ただ、中山せんべい店の中山店主も及善商店の及川社長もいまだ仮設住宅住まいであり、住宅環境の整備はこれからのようだ。

一方、中小機構が仮設施設の撤去費用などを助成する「仮設施設有効活用等助成事業」について、中小企業庁は2月5日、一定の要件を満たせば、完成後5年以上を経た施設にも適用すると発表した。5年を過ぎても利用せざるを得ない施設が増えてくると予想されるためだ。

及川社長はそれを聞いて、「ありがたい」とつぶやいた。南三陸さんさん商店街の現在の計画では、仮設から本設に移行する間に空白期間が生じてしまうからだ。

仮設施設641件建設

中小機構は震災が発生した2011年3月11日当日に「東北地方太平洋沖地震災害対策本部」を設置、まず共済制度を活用した緊急貸付などの措置を実施した。続いて同30日から4月にかけ、被災地に専門家チームを派遣して被災状況や中小企業の要望、課題を調査。さらに3月31日に仙台市と盛岡市、4月1日に福島市にそれぞれ「中小企業復興支援センター」を設置、被災地域中小企業からの各種課題、要望、相談に的確に対応する態勢を整えた。 被災地域が復興に着手する段階になると、中小機構の支援事業は主に(1)仮設店舗・工場の整備(2)震災復興支援アドバイザー(AD)派遣事業(3)被災事業者販路開拓支援展示・販売会—の3つが中心になった。

このうち仮設店舗・工場については、市町村からの設置要望に即時に応える態勢を確立。15年12月1日時点で累計641件の要望に対し、637件を完成、残り4件を建設中だ。 震災復興支援ADは14年度末時点で1075先に1万565人日を派遣している。支援内容としては、市町村・支援機関への派遣については(1)中小機構3センター窓口対応(2)県中小企業支援センターが行う融資への助言(3)支援機関等が実施する経営相談会—が上位を占め、中小企業への派遣については(1)グループ補助金申請に係わる助言(2)仮設施設入居者への支援(3)経営全般への助言—の順に多い。

一方、被災事業者の販路開拓支援を狙いに、「みちのく いいもん うまいもん」と名付けた販売会を昨年3月に仙台市、盛岡市、東京都新宿区、福島県郡山市の各百貨店で実施。商談会は同2月10~12日に東京・有明の東京ビッグサイトで行った。販売会は今年も実施中だ。 震災復興支援の前線で指揮を執る中小機構東北本部の高村誠人本部長は「今後、少子高齢化、人口減少という日本全体の課題が極端な事例として東北沿岸地域に発生してくる。ここでうまくビジネスを立ち上げられるような支援ができれば、日本の地域創生に効果的な施策となる」と指摘。「集約化」「グループ化」「広域連携」などをキーワードとして、「地域の産業を引っ張るリーダー的な会社を応援したい」と考えている。