中小企業の海外展開入門

「せたが屋」世界経済の中心地ニューヨークのラーメンブームの火付け役

ラーメン好きが高じて自分で作るようになり、ラーメン店を開業したのが2000年。リリースする店がすべて評判となり、イベントへの出店要請や取材も多い。メーカーや小売店とコラボレーションして作った商品も数多くある。そんな有名ラーメン店が世界経済の中心・米国ニューヨークに出店したのが2007年。苦い経験もあった海外進出について、せたが屋の前島司社長に話を聞いた。

セントマークス店外観

ラーメンに魅せられ起業

せたが屋は、今年、創業13年目を迎える。前島社長はラーメンにはまり日本全国を食べ歩いて研究を重ね、自宅で自ら作るまでになったという。そこで、他店で修業することもなく店をオープンさせた。

「美味しいものをお客様に食べさせたい」という想いが強く、不安はなかった。オープン当初は常に改善を重ねていたが、次第に軌道に乗ってきた。1年後に「ひるがお」をオープンさせた。昼は塩ラーメンの「ひるがお」、夜は醤油ラーメンをメインとした「せたが屋」という、いわば二毛作ラーメン。その先駆けでもある。

いざニューヨークへ

2006年にニューヨーク1号店がオープンした。前島社長は、海外1号店はニューヨークにと最初から決めていた。世界の中心に出店したいという想いもあったが、ニューヨーク出店はブランディングにもつながると考えたからだ。知人から、ニューヨークで寿司店などを展開する企業の紹介を受けた。独資ではリスクがあると判断し、2005年に共同で会社を設立し、出店準備に着手した。オープンまで1年を要した。

物件は現地のパートナーが見つけてきた。1号店はイーストビレッジに出店することになった。ここは日本人が多い地域だ。ビジネス街ではないが飲食店やショップがひしめき若者の多いエリアだ。流行に敏感な人も多いし、休日でも人がいる。最初は日本人に来店してもらい、その後は、日本人からの口コミでローカルの人たちにも来てもらうことを狙った。

開業準備はスムーズに進めることができた。ニューヨークでは、電気やガス、水道などのインフラが整っていないとその許可を得るにも時間がかかる。そこで飲食店の居抜き物件をラーメン店仕様に改修した。

茹で麺機などの設備や寸胴鍋などは日本から送った。食器は日本と同じものを現地で作ってもらった。

スープについては、使用する肉は現地調達したが、昆布、かつおぶしや煮干しなどは日本から空輸し現場で仕込んだ。それで、ある程度は日本に近い味を出せるが、全く同じものはできない。それは食材や火力の違いから生じるものだった。だしを取るための海産物などは日本から送ったが、輸送に時間もかかるため素材の質も若干変わってくる。スープ作りについては、2名の社員が時間をかけてじっくり取り組んだ。

米国は塩で味付けするので、メニューは塩ラーメンを中心に、醤油ラーメンなどを揃え、日本とほぼ同じレシピで作った。麺はロサンゼルスの日系製麺メーカーに依頼して空輸した。チャーシューなどは現地で作り、醤油、塩はベトナムの天日塩を送った。

ラーメンは1杯10ドル。チップを入れると1,000円程度と日本よりやや高め。ニューヨークの相場よりも高めだが、よいものを出すことにこだわり高めに設定した。

日本から派遣した2名の社員以外のスタッフは、現地のフリーペーパーなどに募集広告を掲載し採用したが、一部はパートナーの店のスタッフを配置してもらった。

滞りなく準備は進められたが、問題は店が完成した後に起きた。日本では、申請をすると数日後に保健所の検査が行われるが、ニューヨークでは検査日程を知らされることはない。店を作っても検査を受けなければオープンできない。オープンするまでの間、店のリース料や日本から派遣した2名の社員の人件費などがかかるため、資金的な余力が必要だった。せたが屋の店の検査が行われたのは、申請から10カ月後だった。日本人向けフリーペーパー2、3誌にオープン広告を掲載した。ニュースや地域情報などを掲載している地元誌にも大々的に広告を掲載した。

オープン日には、ニューヨークでこの味が受け入れられるのか、現地の日本人にはどのように受け止められるのかという思いがよぎり緊張したそうだが、そんな心配をよそにオープン前に50人ほどの行列ができていた。この状態は何日も続いた。

オープンして2、3日は日本人が多かったが、それ以降はローカルの人が多く来店した。非常に反応はよく、せたが屋1号店開店のニュースは、ニューヨークタイムスにも掲載された。「これからニューヨークでもラーメンブームが起きるかもしれない」という記事だった。実際、せたが屋はラーメンブームの火付け役となった。ニューヨークマガジンにおいては、2007年ベスト・オブ・ニューヨークの日本食部門の第1位に選ばれたほどだ。化学調味料を一切使わず、天然素材だけで旨みを出すというコンセプトがニューヨークでも受け入れられたのだ。

1号店の閉店とせたが屋ブランドの復活

ニューヨークで人気店となったため、パートナーが欲を出して新規出店を進めた。見つけてきた3店の物件を一気に借りてしまったため、そのオープンに向けて莫大な経費がかかった。新規出店の準備を進めているうちに1号店の利益を使い込むなどいい加減な経営を行うようになり、味もサービスの質も悪くなっていった。これ以上、経営を任せるわけにもいかない状態になったため、裁判を起こしせたが屋の看板を下ろさせた。ラーメンブームの先駆けとなった1号店は、こうして閉店した。

3店中2店のオーナーには店名を変えてもらい、セントマークスにある店のオーナーとせたが屋を続けることにし、ここが本店となった。現地パートナーとの亀裂が生じたことにより味は落ち、従業員もばらばら、クレームも頻発していた。せたが屋のブランドに傷がついてしまったのだ。そこで新たな本店を、ニューヨークの店以上の店にすべく、店舗運営や味を徹底的に改善した。

メニューは、塩ラーメン、餃子、つけ麺。カレーライスやチャーシュー丼なども提供している。米国では、サイドメニューも充実させなければならない。今では味噌ラーメンや醤油ラーメン、スパイシーなラーメンも提供している。人気のラーメンは塩味と味噌味だ。

ラーメンの量は日本と同じだが、カレーライスなどのご飯類はミニサイズにした。ローカルでは、麺を大盛りにする人はいても、日本人と違ってラーメンとご飯を一緒に食べる人は少ない。また、アメリカ人は熱い料理が苦手らしく、麺が伸びてから食べるそうだ。ラーメンをテイクアウトにしたいという人も非常に多いため、パックに入れて提供している。食習慣の違いなのだろうが、国によってずいぶん食べ方は異なるものだ。

前島社長が手掛ける店は非常にサービスがよい。アメリカでも日本同様、接客に力を入れている。元の本店にいた2名の社員がスタッフを育成したが、以前はクレームも寄せられていたという。例えば、店員がポテトを食べながらラーメンを運んでくるとか、スタッフ同士で話をしているといったことだ。ローカルスタッフに日本の接客と同じことを求めるのは難しい。それでもきちんと指導することで、改善されていった。

前島社長は改めて日本のサービスレベルの高さに気づいたそうだ。セントマークス店は元々アイスクリーム店だったこともあり小さい店だが、今でも900万円程度と安定した売上を維持しているという。努力の甲斐あって売上も顧客も戻ってきた。

そして、2012年に出店したニュージャージーの店がせたが屋2号店となった。ニュージャージーは日本人の多い土地で、家族連れなども多く来店するという。

ニュージャージー店外観

アジア初進出はバンコク

2010年には、バンコクにも出店した。現地の企業が自社物件でラーメン店をしたいと考えていると、仲介会社から話があったのだ。交渉の結果、ライセンス契約をし、日本から社員を派遣、常駐させている。タイでも材料や道具を揃えるのに苦労した。タイのパートナー企業が来日した際に、茹で麺機などの写真を撮り、タイに戻り写真を見ながら溶接して同じものを作ってみたという。当然ながら使える物でなかったため、日本から機械は輸送した。

現地スタッフについては、米国とは違う苦労がある。タイでは転職が当たり前。転職すると給料が上がるので、スタッフの入れ替えも激しい。一人前に育てた頃に退職してしまうため、常に人材を育成し続けなければならない。オープン時に採用した十数名のスタッフの中で今でも残っているのはたった1人だ。この点については他店でも苦労しているという。

タイには日本食が多く進出しており、有名なラーメン店も出店している。タイの人はいろいろな店を食べ歩くことが好きで、サイドメニューを少しずつつまみ、ラーメンもシェアして食べるという。営業を重ねるうちにタイ人の常連も増え、週3回も通うヘビーユーザーもできた。

人気のある店だったが、6月中旬にリニューアルオープンする。最初は醤油ラーメンをメインにしていたが、だしを取るための煮干しや昆布などの海産物は日本から空輸しているため、どうしても原価が高くなってしまう。そこで、先方の企業の要望で現地調達できる素材だけでスープができるとんこつラーメンを提供することになった。これまでの味を求めるファンにとっては残念な話であるが、とんこつスープも非常によい味に仕上がったので、これまで以上にファンが増えてくれるに違いない。

翌年2011年にはソウルに出店したが昨年閉店した。大型商業施設の1階にあったフードコートに出店したが、非常に集客が悪かったという。同じくフードコートに出店していた20店すべてが撤退した。その後も、方々からソウル出店の話が来ているが、市場がラーメンを求めていないと感じているため出店は考えていないという。

タイ・バンコク店外観

海外で生き残るポイント

今後のニューヨーク出店については、よい物件や新たなイメージが湧いた時に考えたいという。海外出店の話は非常に多く舞い込んでくる。商業施設からのオファーもあるし、一緒に組んでやりたいという声も多いが、出店には非常に慎重になっている。海外も日本と一緒で、コンセプトやよい物件、よいパートナーが必要だ。一昔前のように海外に出店すれば誰でも成功できるという時代ではない。店も多いし、競争も激しい。

ニューヨーク出店時に困ったことは、時差でコミュニケ—ションをとる時間が限られていたことだそうだ。食材の違いもラーメンの品質に大きく影響する。海外に行くと必ず市場に訪れるが、日本と同じようなよい食材がない。日本での展開同様、戦略を練らなければ厳しいと前島社長は考えている。

前島社長は、海外進出を考えている若い人から相談を受けることも多いという。そこでは、簡単に手を出すことはよくないとアドバイスしている。確かに現地でパートナーが見つかったとしても、彼らはお金儲けの道具としか考えていないケースもある。順調に立ち上がっても、経営が悪化してもパートナーとの関係に亀裂も入ることもある。様々な経験を乗り越えてきた前島社長だからこそできるアドバイスだ。

せたが屋としては、ブランドを大切に守るためにも、今後は直営展開を志向している。国内でも店舗展開をするが、海外についてはあくまでもブランドを大切にしながら、よい商品を提供する。それが生き残るポイントだと前島社長は考えている。

企業データ

企業名
株式会社せたが屋
Webサイト
代表者
前島 司
所在地
東京都世田谷区奥沢5丁目26-3
事業内容
飲食業