こうして市場の手応えを得た同社は、翌69年、一部のスーパーでも販売を開始する。次いで70年には6カ月間、静岡県でテレビCMを流して本格的なテストマーケティングを実施。その高評価を踏まえ、関東から中部、東北、そして中国、関西、九州へと漸次販売エリアを拡大していった。
72年には横浜市神奈川区松見町にあった本社工場が手狭になったため神奈川県伊勢原市に移転。それまでガスによる直火でおこなっていた加熱・殺菌工程を伊勢原工場では蒸気加熱方式に改めたが、その結果、熱効率が向上し、歩留まりが格段に良くなり、商品供給力も上がった。
70年代に入ると、市場にも徐々に変化が起き始めていた。高度成長を経て、消費者は量的な満腹感を求めるよりも、より美味しいものを求めるニーズを強めつつあった。そうした消費者ニーズの変化に対応して開発したのが、「黄金の味」である。清水さんは語る。
「このころになると、商品開発にコンセプトという言葉が使われるようになりました。『黄金の味』を開発するにあたっては、“高級感があって関西でも受け入れられる味”というわけです。しょう油ベースの『焼肉のたれ』を最初に関西に持ち込んだとき、味の嗜好性の違いに苦戦したので、その反省に立った開発です。『焼肉のたれ』はしょう油味を好む東日本をターゲットに開発した商品だったので、どうしても甘めの味を好む西日本向きではなかったんですね。」