創業者の櫻田慧氏がハンバーガーと出会ったのは、日興証券時代の1962年7月に米国に赴任したときだった。米国の食事に慣れない中、トミーズというハンバーガーチェーンにふと立ち寄ると、そこで出されたハンバーガーの味に魅了された。
独立意欲が強かった櫻田慧氏は、1965年7月に日興証券を退社。皮革製品の販売業をはじめたが、業績は思うように伸びなかった。新しい事業を模索していたときに思い出したのが、アメリカで食べたハンバーガーの味だった。1971年にマクドナルドが東京・銀座に日本進出第1号店を出店。「アメリカ赴任時代より、これからはハンバーガーの時代が来ると直感した」(森野美奈子社長室広報IRグループリーダー)。
ハンバーガー店を出すことを決めた櫻田慧氏は、強烈な印象が残っていたトミーズのハンバーガーを手本にしようと渡米し「1週間程度トミーズで働かせてもらった。そこで味つけや、仕込みの方法、商売のノウハウを吸収した」(同)。日本に帰国した櫻田慧氏は商品開発に着手。ただ、単にトミーズと同じ味を再現するだけならトミーズと提携すれば済む。日本人がつくる日本生まれのハンバーガーであることが必要だった。
トミーズのハンバーガーにはピリ辛のチリソースが使われていた。同ソースをそのまま使っても、うま味や甘味を重視する日本人の舌には合わないと思った櫻田氏は、うま味のある濃厚なミートソースを用いることにした。また、ミートソースはトマトを原材料にしているため、相性のいいフレッシュトマトをトッピングにすることを思いついた。
櫻田慧氏の実家は、岩手県大船渡市の料亭だったこともあり「小さなころから味には敏感だった」(同)が、食品開発については素人。“ベロメーター”とも呼ばれた味の専門家でタミー食品工業の創業者である中島民雄氏とともに研究を重ねた。日本人に合うミートソースの味を追い求め、試作回数は100回を超えた。試作開始から180日後、櫻田慧氏が納得する甘味とうま味が両立したミートソースが完成した。