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経営者と従業員の心が一つになった時、変革は動き出す「鹿児島サンロイヤルホテル(鹿児島国際観光株式会社)」

2024年 4月 30日

プロジェクトメンバーと中島AD
プロジェクトメンバーと中島AD

新型コロナウイルス感染症は、宿泊業や飲食業に多大な負の影響をもたらした。地方ホテルにとっては、インバウンドで光明が見え始めた矢先の需要消失。従業員の離職も相次いだ。鹿児島サンロイヤルホテル(鹿児島市)でも、経営陣は先行きを案じつつも具体的な手立てを見いだせず、従業員は不安を感じるものの自分事と受け止めていないなど、思いはバラバラだった。しかし、中小機構からアドバイザーとして派遣されたベテランホテルマンOBのアドバイスを受け、経営者と従業員がホテルの将来を示したビジョンを共有したことから、変革へのスピードは一気に加速した。

老舗ホテルを襲ったコロナ禍

鹿児島サンロイヤルホテル
鹿児島サンロイヤルホテル

「桜島といえば、サン・ロイヤルホテルの窓から眺めた夕暮の桜島の凄みは、何といったらよいか」-。作家の向田邦子は著作『眠る盃』で、ホテルの最上階展望温泉から見た夕暮れの桜島をこう表現している。実際、客室やレストランから見える桜島は圧巻で、この眺めを求めて、観光客が多数訪れるなど、鹿児島市を代表する観光ホテルとして歴史を重ねてきた。また、ピーク時には年間300件もの結婚式が行われるなど、鹿児島市民にとって地域の顔として親しまれていた。

ホテルの経営母体は鹿児島国際観光株式会社。1973年の開業以来、地域を代表するホテルとして役割を果たしていたものの、設備の老朽化や団体客の減少、結婚式の多様化等で近年の業績は厳しい状況が続いた。インバウンド需要増で回復の芽が見え始めたところにコロナ禍が襲いかかった。予約のキャンセルが相次ぎ、緊急事態宣言の発出などでホテルを全館休館した時期もあり、業績はさらに悪化。資本政策にも取り組んだが、当時はコロナ禍の収束も見通せず、これ以上の打つ手を見いだせずにいた。池田司常務取締役総支配人は、それでも毎日ホテルに出社してはいたが、「お客さまが来ないホテルでぽつんと座っているだけ。これからどうしていけばいいのだろう」と途方に暮れる日々だった。

料理のおいしさには定評がある
料理のおいしさには定評がある

そんな時に、日本政策金融公庫の担当者から、コロナ後を見据えた対策として、中小機構のハンズオン支援、専門家継続派遣事業の活用を提案された。同事業は経営課題の解決を目指す企業がプロジェクトチームを組み、そこに専門家を数カ月間、月2回程度のペースで派遣し、経営課題の解決に取り組むというもの。支援策としては手厚い。ただ、それを聞いた池田常務は「金融機関から言われたら断れないが、売り上げ改善がそんな簡単にできるわけがない」と内心は全く期待していなかった。

一方、従業員たちは別の不安を抱えていた。レストランや宴会が開かれず、宿泊客も急減した。会社は「解雇は絶対にしない。安心してほしい」と言い、雇用調整助成金の受給などで給与は保証してくれた。ただ、残業代はゼロに。生活費に織り込んでいた収入がないことで「生活が苦しい」と退職する従業員も現れた。「このままここにいても大丈夫なのか」と思いつつも、経営は「会社が心配すること」と考え、自分事とは受け止めていなかった。

ベテランホテルマンとの出会い

ホテルの再生にはビジョン共有が欠かせないと語る中島AD
ホテルの再生にはビジョン共有が欠かせないと語る中島AD

日本公庫の後押しでハンズオン支援の実施が決まり、中小機構九州本部が専門家として派遣したのが、ホテルアドバイザーの中島賢一氏だった。中島ADは大手ホテルチェーンで料飲・宴会・宿泊フロントなどを経験した後にいくつかのホテルの支配人、総支配人を歴任したベテランホテルマン。外資系ホテルの経営手法も経験し、現在はホテルアドバイザーとして活動している。

中島ADは鹿児島サンロイヤルホテルの指導にあたり、まずホテルに宿泊してみた。そして、ホテルマンの視点から鋭く課題を指摘し、経営に関するデータを一覧して、ホテルの経営状況や財務状況の課題も言い当てた。池田常務は「この人はホテル経営を分かっている」と見る目が変わった。そして「この人とホテル再生に挑んでみよう」と素直に受け入れる気持ちになった。

プロジェクトチームは中島ADからの要望もあり、現場の管理職と将来有望な若手で組成された。集まったのは、社内各部門から計16人。2022年1月にプロジェクトの第一回会合が開かれた。参加メンバーの胸の内はさまざまだった。「この忙しい時に時間を割いてまでやることなのか」(管理職クラスの社員)や「ホテルのこともよくわかっていないのに自分にできるわけがない」(若手社員)など、おおむね否定的な雰囲気が漂っていた。中島ADはメンバー一人ひとりと面談し、それぞれが考えるホテルの強みを聞いて回った。すると「料理がおいしい」「立地がいい」などと、思い思いの言葉を言うのだが、心から実感しているとは思えない口ぶり。中島ADは「いい料理やサービスの提供で自己満足しており、その先の戦略がない」と改革の前提となる課題を見抜いた。

まずはホテルの将来ビジョンをつくり、そこから各部門が取り組むべき戦略テーマをつくりあげていくことにした。メンバーは月に2回の会議に合わせて、自社の強みや弱みなどを分析するSWOT分析やライバル企業との差別化策など、与えられた課題に取り組んだ。しかし、メンバーの中からは相変わらず「これをやる意味はあるのか」という声が上がるなど疑念は払拭されていなかった。

ライバルホテル視察で従業員の意識に変化

ここでメンバーの意識が変わるきっかけとなる出来事があった。中島ADの発案で、近隣のライバルホテルを視察することになったのだ。対象としたのは、近隣2カ所のホテル。事前に視察目的と伝えたところ、両ホテルとも快く客室や宴会場だけでなく、バックヤードまで見せてくれた。実際にランチも食べてみた。メンバーは自社の強みや弱みを研究していたので、相手のホテルにも自然と細部を観察する姿勢で臨むことができた。また両ホテルとの腹を割った話し合いで、互いの悩みを実感した。この経験で、机上の分析に具体性が加わり、戦略づくりにもがぜん意欲が湧いた。池田常務も「この体験でメンバーの意識が変わった」と感じたという。

空中分解の危機乗り越え鹿児島初の内覧会を開催

プロジェクトに参加した火ノ浦さん(左)と越山さん
プロジェクトに参加した火ノ浦さん(左)と越山さん

中島ADが次に仕掛けたのが、内覧会の開催だった。内覧会とは、ホテルが旅行代理店や顧客を招き、宿泊や宴会・レストランなどで今後展開する商品や施策を紹介するもの。大手ホテルでは行われていたが、鹿児島市内では例が無く、もちろん鹿児島サンロイヤルホテルにとっても初めての試み。しかもその話が出たのが5月で開催は9月だった。この計画に、メンバーの管理職層が一斉に反発した。「一体どれだけコストがかかるのか」「夏場の繁忙期にそんなことをしている時間はない」。業績の厳しさを分かっているだけに、ハイリスクなイベントに挑戦する意味が理解されなかった。中島ADはこうした反発に対して、「このまま行き当たりばったりの営業を続けていていいのか」などとあえて厳しい意見を返した。プロジェクトが、空中分解の危機を迎えていた。

池田常務はこの事態を見て「社員全員が本当に反対なら、私が中島さんに中止を進言する」と言い、その場を収めた。そして改めて若手メンバーに意見を聞いた。すると「おもしろそう」や「やってみたい」と前向きな声が相次いだ。それを聞いて池田常務は開催を決断した。正式に開催が決まったのは7月中旬。準備期間は1.5カ月しか残されていなかった。

内覧会の開催は全従業員で取り組むべき大事業。メンバーがそれぞれの部署に開催の目的を説明し、協力を取り付けることに奔走した。難関だったのが、料理部門。内覧会でも料理は目玉の一つで、特別な準備が必要だ。しかし、そもそもメンバーには料理人は含まれておらず、開催の必要性を一から説明して協力を仰がなければならなかった。この役割を買って出たのが、宴会部門の若手メンバーとして参加していた火ノ浦みなみさん。何度も厨房に足を運び、新しいメニューの進捗状況を確認した。最初は厄介がられていたが、途中から内覧会がホテルの将来に持つ意味を料理人たちも理解するようになっていった。最後には、「ライブキッチンをやろう」と料理人から提案も飛び出した。

新しいベッドも展示した
新しいベッドも展示した

予約センターからプロジェクトメンバーに選出された越山沙樹さんは、内覧会開催を任されたものの「前例がなく何から手を付けていいのかわからなかった。鹿児島では宴会は着席スタイルが主流。それなのに中島さんは『絶対立食で』と言われ、調整に苦労した。でも、初めてやる文化祭みたいで面白かった」と振り返る。中島ADは他ホテルの内覧会の情報提供などはしたが、実際の運営や設営は社員に任せた。池田常務は開催が迫るにつれて、全従業員が内覧会成功に向け一丸となる様を目の当たりにした。

9月28日の内覧会の本番には、215人が来場した。宿泊展示では、新たに導入したマットレスやテレビ、部屋着を展示するとともに、アメニティ付きの宿泊プランなど新たなプランを紹介した。料理は年末年始の特別メニューをその場で試食できるようにした。宴会部門はプロジェクションマッピングを駆使した展示を行い、来場者を楽しませた。社員がステージで懸命に行う説明には温かい拍手が起こった。終わってみれば内覧会は大成功だった。帰り際に「団結力がすごいね」「サンロイヤルのこれからが楽しみ」など、社員に直接称賛の言葉がかけられた。宴会やレストランの予約をその日のうちにする顧客も相次いだ。すべての従業員が「やった意味があった」と実感した。

若手がSNS活用を発案 ホテルの将来に全従業員が思いを一つに

好評だったライブキッチン
好評だったライブキッチン

ホテルは2023年に開業50周年の節目を迎えた。4月に開催した記念パーティは、内覧会での経験を踏まえ、いかに招待者を楽しませるかに知恵を絞った。プロジェクトメンバーとは別の従業員が取り組んだが、こちらも見事に成功させた。これらの経験は従業員に達成感を与え、次に取り組む意欲ともなった。今回のメンバーだけでなく、社内全体が支援をきっかけに、自分の職場だけでなくホテルを良くするために何をすべきかという発想を持つようになり、さまざまな改革へ意見が出るようになった。若手社員の発案でSNS活用のプロジェクトも発足した。業績も着実に好転し、単月の売上高が過去最高を更新するなど劇的に改善している。

池田常務は「従業員の意識が変わった。今度は経営陣が頑張る時」と、大型設備投資の実施に向けて関係者との協議に汗を流しているという。鹿児島市内には、新たな外資系ホテルが開業するなど、鹿児島サンロイヤルホテルを取り巻く環境は決して安閑ではない。それでも従業員と経営者が思いを一つにしていけば、顧客を満足させるサービスは次々と生まれてくることを証明してくれた。

企業データ

企業名
鹿児島国際観光株式会社
Webサイト
設立
1970年2月、創業1973年4月
資本金
5000万円
従業員数
185名
代表者
下津昭則 氏
所在地
鹿児島市与次郎1丁目8番10号
事業内容
鹿児島サンロイヤルホテルの経営