始まりは大阪万博だった

70年万博のエキスポランド大成功で遊園施設が博覧会の必須アイテムに【泉陽興業株式会社(大阪府大阪市)】

2023年 8月 21日

大阪万博の期間中に2600万人を超える入園者を記録したエキスポランド
大阪万博の期間中に2600万人を超える入園者を記録したエキスポランド

全国各地のテーマパークや公園、そして街中でひときわ目を引く観覧車。高さ100mを超す大観覧車から、屋上に設置されたかわいらしいものまで多種多様だ。今も人気を集める観覧車、さらにジェットコースターといった遊園施設が注目されたのは1970年の大阪万博だった。開催期間中2600万人を超える入園者を記録したエキスポランドの建設・運営で中心的役割を担った泉陽興業は、「遊(レジャー)」が社会の基本的要素になるという創業の想いのもと、その後も国内外で多くの遊園施設を手掛けるとともに、都市交通システムなど新たな挑戦を続けている。

衣食住に加え「遊」が豊かな社会の基本的要素になる

泉陽興業の創業者、山田三郎氏
泉陽興業の創業者、山田三郎氏

同社の創業者、山田三郎氏(故人)は元々、政治家を目指し、伯父にあたる衆議院議員、松田竹千代氏(郵政大臣、文部大臣、衆議院議長などを歴任)の私設秘書をつとめていた。しかし松田氏は生涯清貧に甘んじた政治家であったため、「自分は勉強をさせてもらっている身。金銭面で伯父に負担をかけたくない」として事業を起こすことに。その際に思い出したのが、学生時代に百貨店の屋上遊園地でアルバイトをしていたときに目にした光景だった。それは遊園地で夢中になって遊ぶ子どもの姿と、その様子を見守る家族の笑顔であり、そこに家族団欒の夢とロマンを感じた。時は戦後の復興期。「これからは生活に欠かせない衣・食・住に『遊』を加えた4つが真に豊かな社会の基本的要素になる」と考えた山田氏は、遊園施設事業で社会に貢献したいとして、まずは大阪市内の百貨店屋上にファミリー向けの遊園地を企画した。これが評判を呼び、関西各地の百貨店で屋上遊園地を手掛けるようになった。

そして1958年、東京都内で大規模な屋上遊園施設を建設するにあたり、「遊園施設が大型化すれば、人の命を預かるという責任がいっそう大きくなる。もう二足のわらじは続けられない」として、伯父の秘書を辞して事業に専念。泉陽興業株式会社を設立した。

「業界の認知度を上げる絶好の機会」と8社で営業参加

泉陽興業が担当したミニレール(上)と宇宙線シャワー
泉陽興業が担当したミニレール(上)と宇宙線シャワー

東京や大阪の主要百貨店や全国各地の遊園地に同社の遊園施設が設置され、事業は順調に拡大。次に山田氏が目指したのが業界の社会的認知度を高めることだった。遊園施設に関係するメーカーや運営企業に声をかけ、1966年に全日本遊園施設事業組合を設立し、初代理事長に就任した。

その前年の1965年にアジア初となる大阪万博の開催が決まり、日本万国博覧会協会から計画の協力を求められた。過去の万博では会場内に遊園施設を整備するのが定番となっており、大阪万博でも当初から大型レジャーゾーン、エキスポランドが計画されていた。計画が進むにつれ民間による営業参加方式へと方向転換され、博覧会協会は大企業へ参画を要請していたが、「博覧会に必要なインフラ(交通機関)やパビリオンの協力などを行っており、難しい」と受け入れられず、博覧会協会会長で経団連会長などをつとめた石坂泰三氏は、事業組合に民間協力を要請。しかし、施設の建設などを参加企業が負担するという営業参加だったため、やはり参加を拒む組合員が続出した。これに対して山田氏は「業界の認知度を上げる絶好の機会だ」として組合員を粘り強く説得し、最終的に同社を含め組合45社中8社による営業参加にこぎつけた。

社運と業界の将来をかけたともいえるエキスポランドには、ジェットコースター「ダイダラザウルス」をはじめ数多くの施設が整備された。このうち同社は、園内を周回するミニレールや回転ブランコ「宇宙線シャワー」などを担当した。そして1970年3月に万博が開幕すると、エキスポランドはアメリカ館やソ連館、太陽の塔と並んで人気の的となり、万博全入場者(約6400万人)の4割にあたる2600万人余が入園した。

期間中には、この時代ならではの苦労も。当時は日米安全保障条約の改定をめぐる反対運動(70年安保闘争)が展開され、全国各地の大学では学園闘争が繰り広げられていた。そんななかエキスポランドでも、アルバイトの中に学生運動のメンバーが多数潜入。安保反対やバイトの待遇改善、万博反対といった過激な発言を繰り返し、場合によってはエキスポランドの運営を止めかねないという一触即発の事態に至った。これに対し、山田氏は学生たちの言い分に真摯に耳を傾けるとともに、家族連れなど来場者の喜びと安全を訴えるなどして事なきを得たという。

こうしてエキスポランドは、万博の成功に大いに貢献するとともに、遊園施設業界の認知度を一気に高めた。また、当初は万博終了後に撤去される予定だったエキスポランドには各方面から存続を望む声が上がった。これを受けてエキスポランドは施設の新設・改良を加えて1972年に再開。山田氏は石坂氏の要請を受けて運営会社の社長に就任した。山田氏の次男、山田勇作現社長も小学生時代には父親に連れられてエキスポランドでよく遊んだという。

沖縄海洋博~愛知万博や地方博に参加、当時世界一の観覧車も

「テクノコスモス」の観覧車(全高85m)は当時世界一
「テクノコスモス」の観覧車(全高85m)は当時世界一

大阪万博後の国際博や、国内各地で開催されるようになった地方博では、大規模な遊園施設が必須アイテムとなった。同社は1975年の沖縄海洋博、1985年のつくば科学万博、1990年の大阪花の万博、2005年の愛知万博などにアミューズメントゾーンの企画・設計・製作・施工・運営などで参加。このうちつくば万博では、京セラなど関西の企業と合同でパビリオン「テクノコスモス」を出展。パビリオンの一部として当時世界一となる全高85mの観覧車が設置され、人気を呼んだ。

この高さは開催年の1985年にちなんだもの。その後、1988年に岡山県と香川県で開催された瀬戸大橋架橋記念博覧会に設置した全高88mの大観覧車、翌年には横浜博で市制100周年を記念して設置された直径100mの世界最大の時計型大観覧車(ギネスブック認定)と、世界最大を更新していった。

この横浜博に設置された大観覧車「コスモクロック21」は、博覧会閉幕後も存続を希望する市民などの声を受け、一部のアトラクションとともに「よこはまコスモワールド」として1990年にオープン。さらに1999年のリニューアルに伴い現在の場所に移設され、全高112.5mとスケールアップし、今も港・横浜のシンボルとなっている。

このほか、関門海峡を望む「はい!からっと横丁」(山口県下関市)や東京湾アクアラインの千葉県側に位置する木更津かんらんしゃパーク「キサラピア」(千葉県木更津市)など、観覧車を中心とした観光振興施設を全国各地で展開。さらに中国を中心に台湾、韓国でもアミューズメントパークなどの企画・建設に携わってきた。

花博のロープウェイ実績、30年後に横浜の港町に開花

みなとみらい地区の眺めを楽しめる「ヨコハマエアキャビン」
みなとみらい地区の眺めを楽しめる「ヨコハマエアキャビン」

レジャー施設だけではない。博覧会では会場内の移動手段として輸送施設も手掛けてきた。つくば万博では、同社が主体となったJV(共同事業体)が会場内を移動するための省エネ型軽便都市交通システム「ビスタライナー」を運営。輸送業務については、民営化をにらんだ国鉄(当時)からの出向職員の協力を得た。これが契機となり、後の博覧会でも運営の協力体制が続いた。愛知万博の年に父親の跡を継いで就任した山田社長は「これら万博での実績が今は、省エネ型短距離交通システム『エコライド』に引き継がれている」と話す。

さらに大阪花博ではロープウェイも。JV5社の代表企業として会場内輸送高所観覧施設「フラワーキャビン」(循環式ロープウェイ)の営業参加を行った。中央ゲートと政府苑などがあった「山のエリア」とを結び、期間中に約433万人が利用した。この時の実績が30年ほどの時を経て横浜の港町に開花する。2017年に都心臨海部の回遊性を高めることを目的とした横浜市の事業に同社が民設民営による日本初となる都市型循環式ロープウェイで応募し、採用された。そしてJR桜木町駅と運河パークを結ぶ「ヨコハマエアキャビン」は2021年4月に開業した。

“究極の省エネ交通システム”など新規事業にも注力

「社是に掲げる安全第一が大前提」と話す山田勇作社長
「社是に掲げる安全第一が大前提」と話す山田勇作社長

少子化や価値観の多様化などにより遊園地事業を取り巻く環境はより厳しさを増している。2000年以降は全国各地で遊園地やテーマパークの閉園が相次いだ。しかし「衣食住とともに『遊』が生活に欠かせない重要な要素だという創業者の理念は今も、そしてこれからも変わらない」と山田社長。また昨今のデジタル技術の進歩で生活の質と利便性が高まり、VR(バーチャル・リアリティ)など外出することなく手軽に楽しむアイテムも普及しているが、山田社長は「実際に体験してもらうことが大事。体で感じてもらう喜びがある。AIなどデジタル技術と融合したレジャーを含め、家族の団欒の場を提供し続けていく」と話している。

今後は「よこはまコスモワールド」の大規模リニューアルなど、引き続き遊園施設を事業の柱としつつ、新規事業にも力を注ぐとしている。そのひとつが遊園施設メーカーならではの発想に基づく「エコライド」の実用化だ。同社の実績豊富なジェットコースターの構造を活用したもので、車両は鋼管丸レールを3方向から抱える台車構造で脱線の心配がない。また車両側には駆動モーターやブレーキがなく、軽量化が図られており、車両の動きを全て地上側から操作する。この車両の軽量化によってインフラ構造も大幅に簡素化が可能で建設コストも低く抑えることができる。さらに走行は位置エネルギーを主体とするため、エネルギー消費量やCO2排出量を大幅に抑えられるだけでなく、街を楽しみながら移動できる“究極の省エネ交通システム”となっている。

「これからも社是に掲げる安全第一を大前提とし、どこかできらりと光るいぶし銀のようなオンリーワン企業を目指し、社会貢献に邁進していきたい」と山田社長は話している。

企業データ

企業名
泉陽興業株式会社
Webサイト
設立
1958年11月
資本金
5000万円
従業員数
327人(2022年7月現在)
代表者
山田勇作 氏
所在地
大阪市浪速区元町1丁目8番15号 泉陽ビル
Tel
06-6632-1051
事業内容
遊園地・テーマパーク開発、遊園施設開発、賑わいの街づくり・観光振興、都市交通などの企画から設計、製作、施工、経営までを一貫して行う

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