始まりは大阪万博だった

「邪道」と呼ばれた世界初の缶コーヒー 万博で「バズった!」【UCC上島珈琲株式会社(神戸市中央区)】

2023年 11月2日

世界初の缶コーヒー「UCCミルクコーヒー」。初代から10代目のパッケージ
世界初の缶コーヒー「UCCミルクコーヒー」。初代から10代目のパッケージ

コンビニエンスストアや自動販売機でおなじみの缶コーヒー。いつでも、どこでも、お手軽にのどの渇きや疲れを癒してくれる。寝覚めや食後、仕事や勉強の合間…。日常生活に深く浸透した商品だ。缶コーヒーを世界で始めて世に送り出したのが神戸に本社を持つUCC上島珈琲株式会社。茶・白・赤の3色のデザインでおなじみの「ミルクコーヒー」は今も変わらず店頭に並んでいる。発売当初はなかなか定着しなかったが、大阪万博で人気が爆発。缶コーヒーが世界中に普及する大きな足がかりとなった。

戦後、物々交換で仕入れた186俵のコーヒーで事業拡大

「UCCコーヒーアカデミー」学長の栄秀文氏
「UCCコーヒーアカデミー」学長の栄秀文氏

「UCCという名前は今でこそ広く知られているが、大阪万博が始まる前はそうではなかった。神戸に拠点を持つ一焙煎業者に過ぎなかった。それが万博を機に広く知れ渡った。そのターニングポイントになったのが『缶コーヒー』だった」。UCCホールディングス株式会社が運営する日本初のコーヒー専門教育機関「UCCコーヒーアカデミー」学長の栄秀文氏が缶コーヒーと大阪万博とつながりをひも解いた。栄氏は同社の歴史やコーヒー文化を伝える「UCCコーヒー博物館」の館長も務めている。

UCC上島珈琲の創業は1933年(昭和8年)。創業者である上島忠雄氏が神戸市に個人商店を開業し、ジャムやバターといった洋食材を取り扱う商売を始めた。ほどなくして上島氏はコーヒーに着目。海外から輸入したコーヒーを焙煎し、喫茶店や洋食店などに販売する商売も手掛けるようになった。

当時、コーヒーは嗜好品としての人気が高まり、国内需要が増加。1937年には戦前のコーヒー輸入量がピークに達した。しかし、第二次世界大戦が始まると、「ぜいたく品」「敵国飲料」のレッテルが張られ、1944年にはコーヒーは輸入停止に。輸入が再開されたのは戦後の1950年になってからだった。

「輸入が再開されると、上島氏は中古の自転車などと物々交換してコーヒーをかき集めたそうだ。手に入れたコーヒーは186俵だったという逸話が残っている」と栄氏は語る。11トン ほどの量だとみられる。それをもとに上島珈琲株式会社を設立。全国に支店を広げ、事業を拡大させた。もともと喫茶店などにコーヒーを卸すビジネスだったが、1958年には自らコーヒーショップを福岡・博多に開店した。同社の外食事業の基礎となった。

「いつでも、どこでも」から生まれた缶コーヒー

上島珈琲株式会社設立(1951年)
上島珈琲株式会社設立(1951年)

世界初となる缶コーヒーの開発を始めたのは1968年ごろのことだ。上島氏自身が先頭に立って開発プロジェクトを立ち上げた。

こんなエピソードが残っている。

電車で全国を飛び回っていた上島氏が一息つこうと、駅の売店で瓶入りのコーヒー牛乳を購入した。ところが一口飲んだところで発車ベルが鳴り、飲み残した瓶を売店に返して電車に飛び乗ったが、倹約家でモノを粗末にしない明治生まれの上島忠雄には飲み残したコーヒーのことがいつまでも心に残ったそうだ。「もっと手軽に、そしていつでもどこでも、より多くの人が飲めるようにできないか」とひらめいたのが缶入りにすることだった。

若い人はあまりなじみがないかもしれないが、当時、コーヒー牛乳は瓶で売られていた。紙のふたをめくって中身を飲み、瓶は返却するのが当たり前だった。返却した瓶はリユースされるが、割れることもある。長期保存にも向かなかった。缶にすれば、長期保存も可能になり、運送もしやすくなる。

だが、製品化には多くの困難が立ちはだかった。コーヒーとミルクがうまく混ざらず分離してしまったり、高熱殺菌により風味が変わってしまったりしたという。専門家の協力を得ながら試行錯誤を繰り返し、課題を一つ一つ克服。特にコーヒーに含まれるタンニンが缶の鉄イオンと化学反応を起こして黒く変色する課題については、缶の内側に特殊なコーティングをする技術を開発した。

UCC上島珈琲飲料マーケティング部部長の油谷仁敬氏
UCC上島珈琲飲料マーケティング部部長の油谷仁敬氏

プロジェクトをスタートして商品化するまでの期間はおよそ1年。新商品の企画・開発に携わっている飲料マーケティング部部長の油谷仁敬氏は「今、開発に携わる立場にいる身からすると、世の中にないものをこれほどの短期間で生み出したのは、『ものすごい』の一言に尽きる」と当時に思いをはせた。

1969年4月、「UCCコーヒーミルク入り」の商品名で世界初の缶コーヒーが発売された。缶には、コーヒーにかかわる3つの色があしらわれた。茶は焙煎したコーヒー、白はコーヒーの花の色、赤はコーヒーチェリーと呼ばれる、熟した実の色。今も変わらないデザインだ。当時、コーヒーを飲むスタイルは、ミルクたっぷり、砂糖たっぷり。喫茶店と同じ味わいを提案した。

だが、「コーヒーは喫茶店で飲むもの」という先入観から業界からは「邪道だ」と非難されたそうだ。全社を挙げて駅の売店などに売り込みをかけた。消費者への認知度は高まらなかった。そこに訪れたチャンスが大阪万博だった。

「あれは何?」 缶コーヒー飲んでいる姿がテレビに

大阪万博で人気が一気に爆発した
大阪万博で人気が一気に爆発した

日本初の万国博覧会。情報が少なかった時代で、当時、社内では「来場者もせいぜい10万人くらい」というイメージだったそうだ。だが、当時の役員が海外視察すると、それどころの規模ではないことが分かってきた。「大阪万博を販売戦略の一つとして検討してみよう」と力を入れることになった。

海外の出展国などはブースに喫茶店やレストランなどを併設することが多い。併設店とのつながりができれば、業務用コーヒーの販売拡大も期待できる。外食事業を展開する自社のノウハウも活用できる。コーヒー生産国のツテをたどり、出展国にアプローチをかけた。当時、缶コーヒーの製造工場が大阪府内にあった地の利を生かし、工場に隣接した場所に「万博支店」と呼ばれた大阪北支店を開設した。「強みを生かしてほぼすべての海外の出展ブースと取引を獲得することができた。そして、会場の売店に冷蔵した缶コーヒーをすぐに納入できるようセントラルキッチン方式で冷やした缶コーヒーを輸送するトラックを何台も用意した」と栄氏は説明する。

開幕すると、全国から訪れた来場者が、売店で販売されている缶コーヒーを物珍しそうに手にとった。その光景がテレビを通じて茶の間に映し出された。

「あれは何?」

やがて、取引先からの問い合わせや注文が会社に殺到した。発売当初、見向きもしてくれなかった取引先からも注文を受けた。「製造が追いつかず、『できたらすぐに運びたい』と工場に出荷待ちのトラックの列が何台もできたというエピソードが残っている」と油谷氏。今でいうところの「大バズり」になった。缶コーヒーの生産は一つの工場だけでは賄えず、全国に協力工場を拡大。缶コーヒーだけの成果ではないが、70~80億円だった売り上げは万博の翌年の決算で100億円を突破。社員は600人を超えた。

時代の変化にあわせ9回のリニューアル、変わらぬ味とデザイン

2019年にリニューアルされた10代目の「UCCミルクコーヒー」
2019年にリニューアルされた10代目の「UCCミルクコーヒー」

1970年の大阪万博から50年。自動販売機が普及し、缶コーヒーの需要はさらに大きく伸びる。飲料メーカー各社が参入し、激しい競争が繰り広げられている。コーヒーに対する消費者のし好も変化。コーヒーの低糖化が進行する。1994年に発売した「UCCブラック無糖」がヒットした。缶だけでなく、ペットボトル入りのコーヒーも登場。レギュラーコーヒーをテイクアウトできるカフェが急増し、コンビニエンスストアでも淹(い)れたてのコーヒーを提供するようになった。

昭和・平成・令和と、コーヒーをとりまく環境が大きく変化する中で、「ミルクコーヒー」は9回のリニューアルを重ね、2019年から10代目が販売されている。時代の変化に合わせて、味とデザインを進化させているが、「レギュラーコーヒーとまろやかミルクたっぷりの味わい」「親しみやすいパッケージデザイン」という基本コンセプトは変わらない。「缶コーヒー最長寿ブランド」としてギネス世界記録に認定された。また、茶・白・赤のデザインの組み合わせは「ミルクコーヒー」を想起させる高い識別性を持つと特許庁が評価。食品業界では初めて「色彩のみからなる商標」として登録された。

UCC上島珈琲は2010年に持ち株会社制に移行し、UCCホールディングス傘下の事業会社になっている。現在、グループ全体の従業員数は5000人、売上高は3000億円を超す。押しも押されもしない大企業に成長した。

創業者の上島忠雄氏
創業者の上島忠雄氏

「上島忠雄・創業会長の語録に『見たり、聞いたり、試したり』というものがある」と栄氏は語る。神戸の喫茶店で初めてレギュラーコーヒーを口にして感動し、事業を興した。「見たり、聞いたり、試したり」の原点だ。上島氏は缶コーヒーの開発、コーヒーをおいしく飲んでもらうためのさまざまな包装技術の開発を牽引したが、これもまた、「見たり、聞いたり、試したり」が原動力となっている。「『とにかく試そう』という好奇心やチャレンジ精神を持ち続けている。規模こそ大きくなったが、われわれはいつまでも中小企業だ。原点を忘れず、成長を目指している」と栄氏は強調した。

大阪・関西万博には多くの中小企業が参加を予定している。日本全国に、世界に、自社の技術や商品をアピールするチャンスでもある。「ミルクコーヒー」のように「大バズり」し、ロングセラーとなる商品が大阪・関西万博をきっかけに生まれるか。万博を楽しむ、もう一つの視点といえそうだ。

企業データ

神戸市のUCC本社ビル
神戸市のUCC本社ビル
企業名
UCC上島珈琲株式会社
Webサイト
設立
1951年5月
資本金
10億円
従業員数
818名(2022年12月末)
代表者
朝田文彦 氏
所在地
兵庫県神戸市中央区港島中町7-7-7
事業内容
コーヒー、紅茶、ココアの輸入並びに加工、販売。缶コーヒー等の飲料の製造、販売。各種食材の仕入、販売。

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