日本初の万国博覧会。情報が少なかった時代で、当時、社内では「来場者もせいぜい10万人くらい」というイメージだったそうだ。だが、当時の役員が海外視察すると、それどころの規模ではないことが分かってきた。「大阪万博を販売戦略の一つとして検討してみよう」と力を入れることになった。
海外の出展国などはブースに喫茶店やレストランなどを併設することが多い。併設店とのつながりができれば、業務用コーヒーの販売拡大も期待できる。外食事業を展開する自社のノウハウも活用できる。コーヒー生産国のツテをたどり、出展国にアプローチをかけた。当時、缶コーヒーの製造工場が大阪府内にあった地の利を生かし、工場に隣接した場所に「万博支店」と呼ばれた大阪北支店を開設した。「強みを生かしてほぼすべての海外の出展ブースと取引を獲得することができた。そして、会場の売店に冷蔵した缶コーヒーをすぐに納入できるようセントラルキッチン方式で冷やした缶コーヒーを輸送するトラックを何台も用意した」と栄氏は説明する。
開幕すると、全国から訪れた来場者が、売店で販売されている缶コーヒーを物珍しそうに手にとった。その光景がテレビを通じて茶の間に映し出された。
「あれは何?」
やがて、取引先からの問い合わせや注文が会社に殺到した。発売当初、見向きもしてくれなかった取引先からも注文を受けた。「製造が追いつかず、『できたらすぐに運びたい』と工場に出荷待ちのトラックの列が何台もできたというエピソードが残っている」と油谷氏。今でいうところの「大バズり」になった。缶コーヒーの生産は一つの工場だけでは賄えず、全国に協力工場を拡大。缶コーヒーだけの成果ではないが、70~80億円だった売り上げは万博の翌年の決算で100億円を突破。社員は600人を超えた。