経営課題別に見る 中小企業グッドカンパニー事例集

「有限会社マトリックス」経営資源をソフト面に集中し差別化を図る

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、海外旅行客の増加・民泊解禁・大手資本の参入など、宿泊業を取巻く環境は激変している。ビジネスホテル「川崎ホテルパーク」は、川崎駅(川崎市)から徒歩約10分という、ほかのホテルと比較して不利な立地の中、従業員とのコミュニケーションを通して差別化の方向性を見出し、口コミを活用した顧客満足度の向上と、窓口接客の重視によって継続的な顧客獲得に成功している。

この記事のポイント

  1. 湾岸エリアの工事労働者をメインターゲットに据え、不利な立地を逆手にとった
  2. スタッフとのコミュニケーションを重視し、あえて「マニュアルに頼らない接客」により他ホテルとの差別化に繋げた
  3. 口コミを活用した「期待値コントロール」から、顧客満足度向上・ターゲット顧客獲得を図った
川崎ホテルパーク外観。川崎駅から徒歩約10分の閑静な住宅街に位置する

爆買いブームの終焉と川崎エリアの宿泊競争激化

2016年頃、川崎駅周辺エリアのホテルは爆買いに来た中国人観光客で沸いていた。高単価の設定でもホテルの部屋はすぐに埋まり、売上・利益ともに高水準を保っていた。ところが、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定し、JR川崎駅周辺の再開発が進む中、大手資本を中心としたビジネスホテルの参入が相次いだ。

マトリックスが経営する川崎ホテルパーク(以下、「ホテルパーク」)は、川崎駅から徒歩約10分の所に位置し、駅周辺へのビジネスホテルの建設ラッシュにより、ビジネスマンや観光客を集客するうえで立地面では不利になっていた。また築40年弱の建物は老朽化が目立ち、ホテルパークを取巻く状況はいっそう厳しさを増していた。

このような逆境の中で、現在ホテルパーク運営責任者の役割を担っているのが、代表者の長男として2016年に入社した宮本相浩さんである。宮本さんが「当たり前のことをやる」として取り組んでいるのが、(1)ターゲット顧客層の見直し、(2)従業員とのコミュニケーションを通した強みの強化、(3)口コミを活用した「期待値コントロール」の3点である。いずれもソフト面を中心に取り組みを行っている。

ホテル内のレストランにて、現在の取組みを語る宮本さん

湾岸エリアの工事労働者をメインターゲットに据え、不利な立地を逆手にとる

まず、ホテルパークが目をつけたのは、東京オリンピック・パラリンピックで建設ラッシュに沸く東京・神奈川の湾岸エリアで働く工事労働者の取り込みである。ホテルパークよりも駅近の地域には多くのビジネスホテルが参入しているため、電車を利用するビジネスマンや観光客はメインターゲットとはしづらい。

一方で、ホテルパークはほかのホテルにはあまりない大型車両向けの駐車場を数年前から保有していた。そこで、工事労働者向けにWebサイトで「大型車両が24時間停められる」「都内、横浜、湾岸エリアへのアクセスが便利」「稲毛神社の近く、閑静な場所に位置しておりくつろげる」といった点を積極的に打ち出した。狙いどおり、現在、ホテルパーク利用客の中で特にリピーターとなっているのが工事労働者の人たちである。24時間、業務用4t車でも駐車できるサービスがほかにはなく、受けているようである。

マニュアルに頼らない接客で他ホテルと差別化

宮本さんが入社する以前、ホテルパークでは在籍している24名のパート・アルバイトスタッフとのコミュニケーションに関しても課題を抱えていた。例えば、中小企業であれば、経営者と現場の社員が食事をする機会は多少あるものだが、同社では年1回の忘年会しかそのような場がなかった。飲食の回数が問題ではないが、経営者層と現場との距離がそれだけ離れており、普段から現場の意見を吸い上げて改善につなげる機会が極端に少なかった。

宮本さんは、前職であるIT企業で法人営業としてさまざまなプロジェクトに携わってきた経験から、社内コミュニケーションの成否がお客さまへのサービスの質に多大な影響を与えることを熟知していた。まず「CS(顧客満足度)を高めるには、その前にES(従業員満足度)を高める必要がある」と考えた。そこで、毎月地道にスタッフに声をかけて食事に誘い、スタッフが経営層に対して、悩みや気になる点を話しやすい環境を整えていった。徐々にスタッフたちが本音を話し出し、現場の観察を繰り返しながら、改善すべき点、打ち出すべき強みがどこにあるのかを探っていった。

宮本さんが2016年から1年ほどかけてスタッフとのコミュニケーションと現場観察を繰り返す中でたどり着いたのが、「マニュアルに頼らない接客」による差別化である。大手ビジネスホテルでは接客をマニュアル化し、画一的なオペレーションをしていることが多い。ホテルパークでは、新スタッフはOJTを受けながら、どのような応対が顧客の心を掴むのかを肌で学んでいく。2016年当初はマニュアル作りを検討したこともあったが、口コミサイトでの「フロントの接客が温かくて心地よかった」といった評判を洗い出し、また現場観察の過程で接客力・教育力の高いスタッフを見出すことができた。このため、現在ではスタッフに対し、「丁寧でフランクな接客を行い、お客さまに心地よいと感じさせてほしい」という大方針のみを伝えている。

現在、ホテルパークの口コミサイトの評価はじゃらん、楽天トラベルなどでいずれも600件以上あるが、特に接客・サービス面は他社平均を大きく上回っている。そして、その良好な口コミが次の顧客を呼び寄せている。

清潔なベッドとホテル内のレストラン

口コミを活用した「期待値コントロール」が顧客獲得のカギ

宮本さんが口コミサイトを活用する一方で気を遣っている点が、口コミの「期待値コントロール」である。ホテルパークは築40年弱であり、水回りの老朽化が目立つうえに、立地条件は必ずしも良くない。時にはそういったハード面の不足を口コミで指摘される。こうしたときにこそ口コミへの返信を正直に行い、改善できる点を回答する方針をスタッフに徹底させている。

「悪い口コミを書いたお客さまは、期待との乖離があります。お客さまからの口コミへの正直な返信により、別のお客さまにもどのようなホテルであるのかイメージしていただきやすいよう、期待値コントロールをしています」と宮本さんは話す。ハード面で期待値が上がりすぎないようにコントロールしておくことで、実際に足を運んでくれた顧客は接客・サービスなどのソフト面に満足し、好意的な口コミを書いてくれるというわけである。だからこそ、悪い口コミへの対応こそが顧客満足度向上・ターゲット顧客獲得のカギとなるのである。

「市場は変わるものなので、柔軟に対応できるようにしておく必要があります。そのためにも、現場を支えてくれているスタッフには常に学びのある環境を提供して、気持ちよく働き続けられるようにしておきたいと考えています」

そう語る宮本さんは、同業者の集う場所にも意欲的に顔を出して情報収集を進めながら、中長期的にホテルパークが取り組むべきことを慎重に見極めようとしている。中小企業が生き残るためには、経営資源を強みに集中し、磨き続けることが、重要な鍵となる。

企業データ

企業名
有限会社マトリックス(川崎ホテルパークの運営)
Webサイト
設立
1979年9月26日
資本金
1,200万円
従業員数
27名(パート・アルバイト含む)
代表者
孫 貞淑
所在地
神奈川県川崎市川崎区宮本町8-21

中小企業診断士からのコメント

川崎ホテルパークはハード面での設備投資に頼るのではなく、メインターゲットの再設定、スタッフとのコミュニケーションや現場観察を通して見出した強みの打ち出し、口コミの活用による顧客の期待値コントロールなど、ソフト面の取り組みに注力してきた。その結果として、狙ったターゲット層からの需要獲得に繋げている。

多くの中小企業経営者にとって、環境変化のスピードがいっそう激化する中、限られた経営資源をどこに注ぐのかは非常に悩ましい課題である。本事例が指し示すソフト面への注力は、効果的な経営資源の使い方の一つのモデルケースと言えるだろう。

北村 和久