金型設計製作、金属プレス加工、樹脂成型などの加工技術を備え、ようやく会社としての成長軌道に乗り出した。そこで直面したのが人手不足問題だった。当時からすでに町工場は日本の若者から敬遠されていた。ある時、文社長は「ベトナム人を雇いませんか」というチラシを目にした。半信半疑だったが、事業を成長させるためには人員の増強が不可欠だった。文社長自身がベトナムに行き、20歳と21歳の二人の若者に来てもらうことになった。2007年のことだった。当初は研修生という肩書だったが、後に技能実習生に移行した。金属プレス加工は、大きな刃物で金属を切断することもあり、危険を伴う。しかし、ベトナムから来た2人は教えられたとおりに仕事をするだけでなく、自分で仕事をしやすいように工夫をしたり、熱心に日本語を学ぼうとしたりする姿勢で、たちまち現場に溶け込んだ。文社長は「日本の若者よりはるかにしっかりしている。外国人は戦力になる」と確信したという。
次の転機は2008年のことだった。リーマンショックで世界不況が発生し、三重県にある大企業の工場にいたベトナム人のエンジニアが全員解雇されることになった。ある人を介して「彼らを雇ってもらえないか」という依頼が舞い込んだ。彼らはベトナムの技術系のトップと言われるハノイ工科大学を卒業したエリートたちだった。就労ビザも取得していた。同社にとっても願ってもないことであり、2人のエンジニアを採用した。「当時の私はエンジニアという言葉も知らなかった。彼らが来てくれたことで、当社の技術レベルも格段に向上した」という。
ベトナム人を会社の大きな戦力としていこうという方針が自然と決まる中で、次に考えたのが、働きやすい環境の整備だった。文社長の次男の妻が日本語教師の資格を取得し、ベトナムからくる技能実習生たちに日本語を教えたり、ビザ取得の手続きを担当したりと生活面のサポートを担った。どこかに出かけて夜になっても帰ってこない実習生のことを文社長や妻が心配するなど「家族同様の思いで受け入れていった」という。そのように定着にきめ細かい心配りをすることで、技能実習生として数年過ごした後にベトナムに帰国し、その後に別の資格を得て再び同社で働く者、自分の兄弟を呼ぶ者など、ベトナムから同社に来て働く者の数はどんどん増えていった。今では従業員100人のうち、約半分がベトナム人と中国、韓国から来た社員が占めるようになった。中には日本で永住許可を得て、家族で暮らす社員も複数現れている。