伊藤氏は静岡県浜松市で生まれ育った。浜松市はホンダやヤマハなど日本を代表する製造業が誕生した地で、父親がエンジニアだったこともあり、子どものころからものづくりに関心を持っていた。東京大学に入学した時には「将来はエンジニアになろう」と考えていた。ある時大学の掲示板で「東京大学アントレプレナー道場」のポスターを見ておもしろそうだなと興味を持った。同道場は、起業について初歩から体系的に学ぶプログラム。今でこそ大学発スタートアップは珍しくないが、当時は東大を卒業したら官僚か大企業に入社するのが通例。伊藤氏は道場の二期生となった。自らビジネスプランを書いて、大勢の前でプレゼンテーションを行う。何もかもが初めての経験だった。当時研究していた三次元ディスプレイに関するビジネスプランのプレゼンを行ったところ、最高位の賞を獲得した。こうした経験から「生き方として大企業に就職するより、チームで新技術を社会実装する会社を起業するのも面白そうだ」と思うようになった。
ただ、2008年に東大大学院の修士課程を修了して入社したのは外資系のコンサルティング会社だった。「まだ起業することまで踏ん切りがつかなかった」のだという。ここで製造業向けに新規事業創出、マーケティング戦略策定などさまざまなプロジェクトの経験を積み、最後の仕事として担当したのが、ジャパンディスプレイ(JDI)の設立だった。JDIはソニー、東芝、日立製作所の中小型液晶事業を統合して2012年に発足した。伊藤氏はコンサルタントとして3社の統合戦略の策定を担当した上で、JDIの発足初日にJDIに転籍し、3年の在職期間で、組織再編、株式公開などを担当した後に同社を退社した。
「いずれは研究開発型スタートアップの経営をやりたい。そのためにもう一度学びたい」と考え、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の経営大学院に入学した。MITは起業家教育で世界有数の取り組みを行っていた。「エンジニアリングスクールの学生とビジネススクールの学生が一緒の授業を受けて、技術をどうやって事業化するかといった実践的な授業が学びになった。ボストン周辺にはたくさんのスタートアップ企業が集積しており、そうした企業が成長する姿も見てきた」と言い、起業家としての未来を具体的に描くようになっていった。
MITで経営学修士(MBA)を取得し、2017年に日本に帰国して最初に就いたのが、有機半導体を手がけるパイクリスタル株式会社の代表取締役だった。同社は東大・阪大発のスタートアップ企業で2013年に設立された。有機半導体単結晶の成膜技術を核に薄型のデバイスを開発・製造・販売する事業を目指していた。将来有望な技術として新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)などの研究助成を受けている段階だった。伊藤氏は研究開発から試作へと進む段階で経営に参画した。念願のスタートアップの事業に携わることになり、資金調達に奔走した。その途上で、出資者であったダイセルから同社を買収したいという申し出があった。将来を評価してのことであり、ダイセルには同社が今後量産を進めるために必要なものづくりのノウハウや人材も豊富だった。同社は2020年1月にダイセルグループ企業となった。伊藤氏は「自分のここでの役割は終わった」と、退社を決めた。まだまだ事業をやり切ったという実感はなく、今度こそ自分で一から事業を作り上げたいとの思いを強くしていた。