経営支援の現場から
JR東日本との「金鉄連携」で地域活性化 事業者への支援スキル向上につなげる(下):茨城県信用組合(水戸市)
2026年 1月 5日
■事例紹介
自然薯ベースの加工食品を相次ぎ開発 プロジェクト参加で地元の特産品に成長 株式会社新関フードサービス・新関勉代表取締役(茨城県つくば市)
茨城県の常磐自動車道谷田部インターからつくば市の筑波研究学園都市を結ぶ県道は、片側3車線の広い道路が整備され、「サイエンス大通り」という愛称が名付けられている。その沿道にある「自然薯料理 福々亭」は、コロナ禍の最中にあった2021年3月に開店した。その名の通り、自然薯料理をメインにした店舗で、新鮮な魚料理なども味わうことができる。
「開店当初はみんなに心配されましたが、コロナ禍でも多くのお客様に来店いただいて、評判をいただいた。20代から80代まで女性層を中心に幅広く支持されている」と福々亭を運営する株式会社新関フードサービス代表取締役の新関勉氏は語る。最近は、インバウンドの利用も増えているそうで、台湾や中国などの観光客が団体で来店することも多いという。

新関氏は、1999年からつくば市谷田部の市街地で居酒屋を営んでいたが、コロナ禍を機に業態転換に踏み切った。自然薯料理店を選んだのは、父が自然薯を栽培していたことが背景にある。「もともと実家は農家で、父が趣味で天然の自然薯掘りをしていた。そこから自分でも栽培をするようになった」という。店で提供する自然薯は実家やその周辺の協力農家が生産したものだ。
茨城県信用組合とのつながりが生まれたのは2023年ごろのことだ。開店した福々亭から徒歩10分ほどの距離に谷田部支店があり、新関氏が個人的に行っていた定期積金の集金に信組の職員が定期的に訪れていた。「当初は集金してただ帰るくらいのお付き合いだった」と支店長の岩間一貴氏。新たに支店に配属された豊島史奈氏が担当になり、法人としての取引に発展した。

ちょうどそのころ、店舗経営も軌道に乗り始め、新関氏は新たなビジネスにチャレンジしていた。自然薯をもとにした加工食品の開発だ。集金の際に会話の流れで仕事の話になった。「それがきっかけで支店長や豊島さんからいろいろなサポートをしていただくようになった」と新関氏。仕事の相談をしたり、商品開発に役立つ取引先などを紹介してもらっていたという。
新関氏は、これまでにこだわりが詰まった数々の商品を売り出している。オリジナルの「自然薯そば」は、すりおろした自然薯を生のまま使用している。通常であれば、乾燥した自然薯の粉末を混ぜるのだが、「生のまま使用することで、そばの喉ごしが大きく変わる」と新関氏。ただ、生のまま加工すると製麺機のメンテナンスに手がかかるため、引き受けてくれる製麺所をやっとのことで探し出したそうだ。

販路開拓・伴走支援プロジェクトのサポートを受けた際は、ちょうど自然薯入りチーズケーキの開発を進めているタイミングだった。とてもユニークなチーズケーキで、固形ではなく、トルコアイスのような状態になっている。「こんなチーズケーキはどこにもない。ちょっと面白い」と開発を始めた。
商品化に向けて相談を受けていた豊島氏がプロジェクトを通じた伴走支援を持ちかけ、スタートした。豊島氏は第2期の研修生にあたる。中小機構のオンラインアドバイスを活用し、パッケージや味を評価してもらい、商品化の参考にした。これまで作り上げた商品を紀ノ国屋との商談会で提案したり、都心駅の駅ナカでの販売イベントで売り込んだりした。
「私の力だけではJR東日本さんや大手のバイヤーとつながることは難しい。そのきっかけをつくっていただいたことは非常にうれしかった。紹介してもらった以上、茨城県信組さんの顔をつぶすわけにはいかない。しっかりいいものを作った」と新関氏。JR東日本との連携協定をきっかけに、JR東日本と自然薯収穫の体験ツアーを展開するなどビジネスの幅を広げている。
新関氏が商品化した自然薯そばやチーズケーキは、地元を代表する商品に成長している。2024年には、つくば市認定物産品「つくばコレクション」に選ばれ、ふるさと納税の返礼品にも採用された。

今後の展開について、新関氏は「まずは自然薯をベースにした商品開発に力を入れたい。今はせんべいや漬物などの開発を進めている。自社工場をつくろうと考えていて、そのためにも販路拡大に一生懸命取り組んでいる」と意気込む。地域の農家の担い手が減る中、農業経営にも関心を持つ。連携協定をきっかけに地域活性化を牽引する人材が大きく育っている。
■事例紹介
知る人ぞ知るあられ・おかきの名店 伴走支援が販路開拓を後押し 有限会社歌舞伎あられ池田屋 池田裕児代表取締役(茨城県取手市)
茨城県取手市は東京のベッドタウンとして発展した市だ。JR常磐線取手駅から都心までは1時間もかからない。駅周辺の市街地はにぎやかな一方、郊外に出ると緑豊かな田園地帯が広がっている。戦後間もないころからこの地で米菓の製造を続けている有限会社歌舞伎あられ池田屋は、2020年に自社製品を販売する店舗を開店した。取手市の中心地からは遠く、決して交通の便が良い場所ではないが、客足が絶えない知る人ぞ知る地元の名店だ。茨城県信組の第1期の販路開拓・伴走支援プロジェクトの伴走支援を受け、JR東日本傘下の高級スーパー、紀ノ国屋との取引関係を構築するなど大きな成果を上げている。

江戸時代の商家をイメージした外観。店舗に入ると、店内は梁(はり)や柱がない広い空間に、さまざまなタイプのあられ・おかきが販売されている。壁に浮世絵風の鯉の絵が描かれた和モダンな雰囲気が広がる。カフェも併設され、おかきやあられを食べながら一息つくこともできる。「『伝統と革新で、社会に笑顔としあわせをお届けします』が経営理念。古き良きものと新しいものを合体したような店にしたかった。地元のシンボルになるような店にしようと、休める場所もつくった」と代表取締役社長の池田裕児氏は笑顔をみせた。
創業は昭和8年(1933年)。もともとは池田氏の祖父が東京・巣鴨に店を構えていたそうだ。だが、戦争で店を失い、茨城の親類のもとに疎開し、無一文の状態からこの地でおかき・あられの製造を再開した。製造する米菓の大半は他のメーカーからの受託製造で、自社ブランドでの販売はほとんどしていなかった。受託製造は利益が薄く、経営は厳しい状態が続いていた。そこで、2010年に社長に就任した池田氏が厳しい経営状況を打開しようと事業改革に乗り出し、店舗展開を始めた。

もち米を杵でつき、天日干しする伝統製法を守り続けている。日本最大の菓子業界の博覧会「全国菓子博覧会」で行われる品評会では、最優秀賞の名誉総裁賞や内閣総理大臣賞をはじめ多くの受賞実績を持つ。水戸納豆や福来みかん、大洗産しらすなどを練り込んだあられや揚げ餅などを製造。茨城県信組の農林水産部を通じて、地元産の素材の紹介などを受けていた。
「地元を非常に大事にしている経営者で、単に米菓をつくるだけでなく、地元の素材の活用を常に考えてくれていた。それで当組合からもいろいろな球を投げていた」と営業推進部・農林水産部長の沼田幸一氏は語る。プロジェクトがスタートした2023年に取引の窓口となっていた藤代支店係長の藤井麗氏(現・常陸太田支店課長)を通じて伴走支援の打診を受けた。
JR東日本と連携した新たな販路開拓のチャレンジ。「売れる、売れないよりも前に、まず気に入ってもらえるかどうかが知りたかった」と池田氏は伴走支援を受けることを決心した理由を打ち明けた。県外への販路開拓について「正直、売れるとは思っていない。当社のことを知らない人は買わないだろう。そんな前提で商売をしているところがある」。もともとはそんな意識を持っていたそうだ。

紀ノ国屋との商談には、バイヤーとして当時の副社長が対応してくれた。「商品を見抜く力がある方だった。店で売れるものと売れないものをしっかりと見極めていた。複数の商品を提案したが、『自分が一番売りたいものは何か』と言われ、渡した商品に高い評価をいただいた」と池田氏は振り返った。採用された商品の一つはカレー味の揚げ餅。「懐かしい味で、うちでも売れる」と評価され、現在も店頭に並んでいる。
商談に向けては準備段階から藤井氏が親身になってサポートしてくれた。提案する商品の選定をアドバイスし、バイヤーに提出する商材の説明用の書類を池田氏と一緒になって作成した。中小機構のアドバイザーから受けたアドバイスもフィードバックされた。「地元と都会では売れるものが違う」と、パッケージの見直しにも取り組んだ。「サポートは本当に助かった。自分ひとりで準備ができたかというと、やれる自信はなかった」と池田氏は感謝の思いを口にしていた。

1期生としてサポートした藤井氏はその後、転勤したが、現在は藤代支店支店長の寺山泰弘氏と係長の濱本大地氏がサポートを引き継いでいる。JR水戸駅で開催されている催事に参加すると、これまで知られていなかった地元の消費者にも知名度が広がった。都心で開かれるイベントにも積極的に参加している。「けんしん(茨城県信組の通称)さんから『お願いします』と声をかけていただくと、喜んで参加させてもらっている」と池田氏は話していた。
池田氏によると、若いころは販路開拓に積極的に取り組むようなタイプではなかったそうだ。1998年に家業に入ったが、その後、茨城県中小企業家同友会に参加し、他の経営者たちとの交流を通じて経営理念やビジョンを考え、経営者としての矜持を持つようになった。新たな店舗展開のチャレンジにつながった。「昔の自分だったら、けんしんさんから打診を受けても『いいです』と断っていたかもしれない」と池田氏は振り返った。変革に取り組もうとする経営姿勢が新たな成長を引き寄せている。