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100年続く繊維問屋が異業種に挑戦 ロードバイク事業に参入「越後繊維株式会社」

2024年 10月 7日

越後繊維の大嶋哲代表取締役
越後繊維の大嶋哲代表取締役

新潟県上越市で100年以上にわたって繊維製品の卸問屋を営む越後繊維株式会社がロードバイクのオリジナルブランドを立ち上げた。ブランド名は「毘沙(BISYA)バイク」。海外のメジャーなメーカーの製品を手掛ける中国の工場と提携し、本格的なロードバイクを破格の価格設定で提供している。量販店やSPA(製造小売業)の台頭で先行きが厳しい既存事業からロードバイク事業を新たな柱にしようと奮闘している。

中国の工場と提携、低価格でフルカーボンのバイクを提供

フルカーボンフレームの「毘沙バイク」
フルカーボンフレームの「毘沙バイク」

「趣味でロードバイクに乗っていたが、この業界にビジネスチャンスがあるのではないかと思うようになった。まずは大けがをしない範囲でトライすることにした」。越後繊維代表取締役の大嶋哲(さとる)氏はロードバイク事業に参入したきっかけをこう話した。

越後繊維が販売する「毘沙」バイクは、軽量で高い強度がある炭素繊維プラスチックで作られたフルカーボンのロードバイク。そのほかのパーツは国内大手自転車部品メーカーのコンポーネントを使用している。提携した中国の工場は欧米の世界的メーカーのフレームを生産しており、汎用モデルのカーボンフレームを採用。本格的なレースに出場しても遜色ないクオリティーに仕上げている。

2019年に第1号モデルを200台リリース。ブランド名は郷土にゆかりのある戦国武将、上杉謙信が信奉していた毘沙門天から命名した。一般的に30万円以上する同様のモデルのロードバイクを税込み16万円台で販売。さらに2号モデルでは13万円台まで価格を引き下げた。現在は3~8号の5モデルを販売している。「ロードバイクは高くなりすぎていて、なかなか手に入れにくい。価格を抑えて、楽しく、健康になる道具として使ってほしい」と大嶋氏は語る。

大手流通が台頭、時代の変化とともに本業が低迷

100年の歴史を持つ繊維問屋。社内には幅広い衣料品が並んでいる
100年の歴史を持つ繊維問屋。社内には幅広い衣料品が並んでいる

大嶋氏が経営する越後繊維は、1919(大正8)年に創業した地元で老舗の繊維問屋だ。本社を構える上越市高田は江戸時代から城下町として栄えたところで、全国の主要産地から仕入れた衣料品やタオルなど繊維商品を地域の洋品店や小売店に卸売りをしてきた。現在のように交通機関が発達していない時代に地域の流通を担う重要な役割を果たしてきたが、流通革命で地方の問屋は大きな逆風にさらされるようになった。大量仕入れ・大量販売の量販店が衣料品を低価格で販売するようになり、さらに製造から販売までを一気通貫で手掛ける衣料専門店が急成長。主要な取引先である街の洋品店はその数を大きく減らし、繊維卸の事業は厳しさを増している。

大嶋氏は大学を卒業すると、大阪に本社がある繊維商社に就職。5年間勤務し、その間、大手流通を担当した。「大手の考え方や厳しさ、恐ろしさを目の当たりし、地方の問屋の置かれている立場を感じ取った」という。退職し、越後繊維に戻るのを前に1年間、欧米・中国を放浪。中国・上海に8カ月間、語学留学し、日常会話が普通にできるようになった。その経験がロードバイク事業を展開する大きな下地になった。

2005年に父から経営を引き継ぎ、新潟県中小企業家同友会の会員になった大嶋氏。新たな収益の柱となる事業を模索する中で、同じ会員企業の経営者からこう問いかけられた。

「中国語が話せるなら、なぜ、中国から輸入しないのか?」

だが、中国から繊維製品を仕入れるとなると、1つの製品で2000ロット単位の数でないと取引できない。小さな繊維問屋ではさばき切れないほどの量になり、リスクが高くとてもできない。すると、その経営者は「別に繊維じゃなくてもいいのでは」と大嶋氏に投げかけた。

その経営者は、市場は小さいものの、特定の消費者にニーズの高い製品を中国から輸入し、全国に販売していた。国内に販売するメーカーは少なく、トップクラスの全国シェアを確保していた。「言われてみればそうだと感じた。ニッチな市場というのは、小さい会社にとってはブルーオーシャンだと思った」

全国を飛び回り、200台のロードバイクを販売

価格の高いロードバイクを低価格で提供する
価格の高いロードバイクを低価格で提供する

そこで着目したのが、自分の趣味でもあったロードバイクだった。学生時代の同級生たちが乗っていたのを見て、「面白そうだ」と2012年から始め、健康のため、よくツーリングにでかけていた。日本では欧米のトップブランドが市場を席捲している。そのほとんどは中国で作られていることは知っていた。「なぜこんなに高いのか」。趣味ではなく、ビジネスの視点からロードバイクの市場環境について調べてみた。「ブランドロイヤリティを取っ払って、工場から直接仕入れて販売すれば、もっと安く流通できるのではないか」。ビジネスの可能性を感じた。

心配だったのは、同じ考え方でロードバイクを格安で販売している会社が国内になかったことだった。「そのやり方では『存在』できないのか、それとも誰もやらなかったのか。どっちなのか。それが分からなかったが、とにかく1回やってみることにした」

トップブランドのロードバイクを手掛ける信頼性の高い中国工場を探し出し、完成品のロードバイク200台を仕入れた。業界に縁もゆかりもないところからのチャレンジ。売り切るのは苦労の連続だった。営業は大嶋氏一人。いわゆる「どぶ板営業」でセールスした。最初は新潟県内からスタートし、人口20万人以上の都市を中心に200以上の店舗を一つ一つ訪問して回った。

上越市高田にある越後繊維の本社
上越市高田にある越後繊維の本社

訪問すると、「毘沙バイク? 何、それ」と当然のように言われる。門前払いされることもしばしば。「話を聞いてくれるだけでも神様のようだった」と大嶋氏は振り返る。店に置いてもらわないとビジネスにならない。店にお願いして1台だけ置いてもらうということを続けているうちにメディアなどで紹介されるようになった。面白がって買ってくれる人もじわじわと増えた。結局、すべて売り切るまで2年近くかかったが、大きな自信になった。

第2弾では、10万円のロードバイクを企画した。結局、10万円では収まらなかったが、それでも13万円台で販売すると、発売日に250台を完売した。その勢いに乗って第3弾、第4弾と新たな商品を提案している。

「毘沙」ブランドの知名度は、自転車販売店にも少しずつ浸透。営業に行って一から説明し、「まずはみてもらえないか」と頭を下げることはほとんどなくなった。むしろ「聞いたことがあるよ」と興味を持って話を聞いてくれるようになったという。「ユニークなブランドという位置付けをしてくれて、熱心に売ってくれる店も出てきている」と目を細めた。

数字至上主義を反省、人を大切にする経営を学ぶ

「楽しく、健康になる道具として毘沙バイクを使ってほしい」と語る大嶋氏
「楽しく、健康になる道具として毘沙バイクを使ってほしい」と語る大嶋氏

優しい物腰の大嶋氏だが、大阪の商社に勤務していた時代はバリバリの営業マンだったそうだ。「数字至上主義の会社で、数字をつくることがすべて。営業会議で数字をつくらないと、ばか野郎と平気で言われた。超スパルタだった」と語る。実家に戻った後も、大阪時代の感覚のまま数字至上主義で経営にあたっていたという。「何のために経営しているのか。そんなの金のために決まっていると平気で言っていた。売り上げがとれないと、社員に強く当たることもよくあった」と大嶋氏は振り返った。

そんな中、仲の良かった経営者が参加していた中小企業家同友会の活動に加わった。経営指針について学ぶ勉強会で、経営者としてのあるべき姿を学び、考え方が変わっていった。「会社は数字がないと生きていけないが、それだけではない。社員の生活を支え、社会に貢献するという重要な役割を持っている。そもそも考えがずれていたことが分かってきた」。

ロードバイク事業は、そんな経営者としてあるべき姿を体現したいとの思いからのチャレンジでもある。事業を軌道に乗せることで、雇用を守り、社員の賃金アップにつなげる。そして、既存事業とは違う形で消費者が喜ぶ商品を提供し、社会に貢献することを目指している。

ここ数年、ロードバイクの市場環境は大きく変化しているという。歴史的な円安の影響が直撃し、スタート当初の低価格を維持することが難しくなってきた。「毘沙」にとっては厳しい競争環境になっているが、強みとする品質と価格を武器に販売拡大に奮闘している。「まずは年間で1000台を売れるようしたい。それを土台にして、会社の売り上げの大きな柱になるよう成長させる。市場環境は厳しいが3~5年の間に目標を達成したい」と大嶋氏は強い決意をみせていた。

企業データ

企業名
越後繊維株式会社
Webサイト
設立
1950年7月(創業は1919年)
従業員数
15人
代表者
大嶋哲 氏
所在地
新潟県上越市本町7-2-6
Tel
025-524-4103
事業内容
繊維製品の販売、ロードバイクの販売