2026年 3月 9日

南原徹也企画開発部長
南原徹也企画開発部長

プラスチック成形加工業は、多くが受託加工型であり、安値取引に陥りやすい。大阪府東大阪市に製造拠点がある甲子化学工業も、同じ悩みを抱えていた。南原在夏(あきか)社長の息子で、同社の後継者候補である南原徹也企画開発部長は、「何か新しい事業が必要だ」と模索していた。そして出会ったのが、北海道最北の村・猿払村の海岸に山積みになっていたホタテの貝殻だった。貝殻を粉状にした素材は、プラスチックと比べて温室効果ガスの排出量を削減できるエコ素材だった。この素材から作ったヘルメットやベンチは大阪・関西万博でスタッフの頭を守り、来場者の休息の場となるなど、話題を集めた。捨てるだけだったものを素材として再利用する。持続可能なモノづくりへの挑戦が、新たな成長につながっている。

ゼネコンから家業に転身、現場の課題に直面

射出成形機でさまざまなプラスチック部品を生産
射出成形機でさまざまなプラスチック部品を生産

甲子化学工業は、南原在夏社長の父が1969年に創業した。プラスチックが世の中で急速に使われ出した時代で、需要も順調に伸びた。在夏氏が社長を継ぎ、工業用プラスチックの受託加工業としてさまざまな部品を生産するようになっていった。一方、徹也氏は大学を卒業して、大手ゼネコンに就職した。会社で施工管理から現場の工事担当、設計や強度計算、入札業務など、さまざまな業務を任され、やりがいを感じていた。それだけに「当時は家業を継ぐことは全く頭になかった」と言う。ただ、父親が苦労する姿は見ていた。当時の甲子化学工業は取引先から受託する仕事が100%。常に価格競争にさらされる厳しい世界に、将来を見出すことはできないと思っていた。しかし、30歳を目前にして、将来を考えたときに「家業を継ぐ」という思いが湧き上がってきた。祖父と父が精魂込めて取り組んできた事業を、このまま終わらせたくないという思いだった。「アイリスオーヤマも、もともとはプラスチック加工の町工場から始まった。自分がやることで、この会社で新しいことがやれるかもしれない」と挑戦したい気持ちもあった。

入社して最初の1年間は、製造現場で働いた。射出成形機に金型を取り付けて、プラスチック材料を投入するという作業。慣れてくると課題も見えてきた。日々決まったルーティーンワークがあり、「人がやるより自動化した方が生産性は上がるのでは」と思った。また、倉庫も整理がされておらず、ベテランしか在庫のありかが分からない。結果として出荷が遅れ、発注元からクレームが付けられるということも起こっていた。毎日100種類以上の部品を出荷していたが、部品は地面から積み上げているだけで、在庫管理という概念もなかった。

「新しい事業を考えるより、現場のカイゼンが必要だ」。まず倉庫から始めた。棚を自分で組み立てて、そこに生産した部品を、定位置を決めて保管するようにした。部品管理にバーコードリーダーを導入しようと考えたが、既存のシステムでは対応できなかった。そこで、当時世の中に普及し始めたノーコードアプリを使って、自分で開発した。アプリの作成はYouTubeを見て学ぶという全くの初心者だったが、何度もやり直して作り上げた。それまでは遠巻きに見ていた社員たちも実際にシステムを使ってみると、その便利さを理解した。最初のころは、徹也氏が新しいことをやろうとすると、社員全員が反対した。「今のままでいいじゃないか」と変えることを抵抗された。それでも、「この先30年食べていける会社にしたい。そのためにみんなでカイゼンをしよう」と粘り強く訴えかけ、社員の意識も少しずつ変わっていった。

新事業開発へ模索の日々 コロナ禍で事業の意味を問い直す

手すりに触れずにドアの開閉ができる「アームスライダー」はヒット商品になった
手すりに触れずにドアの開閉ができる「アームスライダー」はヒット商品になった

転機となったのは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大だった。医療機関で感染防護の物資が不足していることが問題となっていた。同社は、大阪大学と東大阪市が立ち上げたフェイスシールドプロジェクトに参画し、工場に専用ラインを設置して10万個を生産し、全国の指定感染病院に寄付した。この取り組みはメディアにも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。中には「困っている病院のために、何か作ってあげて」と、同社にお金をもってくる人もいたという。「モノづくり企業も、ただ安く提供するだけではなく、世の中の役に立つものを作れば評価してもらえる」と実感した。さらに、病院からの要望で、手すりに触れずにドアの開閉ができる装置を開発した。ウェブサイトで販売したところ、さまざまなところから注文が舞い込むヒット商品になった。結果として、同社の業績も過去最高益を達成した。世の中に役立つ商品を開発していけば活路が開けることに確信を得た。従業員も自分たちの事業が世の中の役に立っていることを実感し、働くことへのモチベーションが上がった。

コロナ禍が収束したころから本格的に新事業の探索に乗り出した。「『何が売れるか』ではなく、『何を解決できるか』、みんなが困っていることを事業にする」ことを考えた。同時に大きな課題と思っていたのが、「プラスチック=悪」という風評への対策だった。コロナ禍でプラスチックの有用性は評価されていたが、それでも、石油資源を消費し、海洋汚染の要因になることなどから、プラスチック悪者論は根強くあった。プラスチック問題を正面から考えることも大きなテーマとなった。

生物資源を原料とし、環境に優しい特性を持つプラスチックとしてバイオプラスチックが世の中には存在していた。しかし、価格が高く、性能も劣ることから、普及には至っていなかった。また、もう一つのアプローチとして、使用済みの廃プラスチックの再生利用も検討した。徹也氏はこれらの状況を踏まえて、プラスチックの代替となる、捨てられている素材の活用を考えた。最初に考えたのは、卵の殻だった。卵の殻を細かく砕いてプラスチックに混入させると、成形はできるものの、色にばらつきが生じた。さらに、表面に凹凸も出てしまう。ただ、試しにSNSで成形したものを発信すると、思いがけず大きな反響があった。さまざまなところから問い合わせが寄せられた。その中に、「ホタテの貝殻を使えないか」というものがあった。興味が湧いて調べてみると、貝殻の処理は大きな問題になっていた。過去にも貝殻を使って箸や箸置き、チョークなどを作る試みがなされていたが、いずれもコストがかさみ、普及しなかった。現時点では、だれも貝殻の活用策を考えておらず、産地にはホタテの貝殻が山積みとなっていることも分かった。「誰もやっていないことなら、取り組む価値はあるかもしれない」。さらに調査を進めた。

猿払村で運命の出会い 「ホタメット」誕生

猿払村の海岸にはホタテの貝殻が山積みになっていた
猿払村の海岸にはホタテの貝殻が山積みになっていた

北海道の猿払村がホタテの大きな産地であることが分かった。「現地に行こう」。さっそく村のSNS経由で問い合わせると、「どうぞ来てください」との回答。村長も直接会って、話を聞いてくれた。「いきなり大阪の中小企業がやってきたのに、快く対応してくれた。『ホタテの貝殻をもらって試験をしたい』と言ったところ、貝殻を煮沸洗浄する作業を役場の職員も手伝ってくれた」と、村の対応に感激したという。実際、海岸近くには、ホタテの貝殻が山となって積まれていた。貝殻問題は村にとって切実だったのだ。

持ち帰った貝殻を粉末状にして、プラスチック原料と混ぜて成形すると、しっかりとした成形品ができた。卵の殻であったような色のばらつきもなかった。ホタテの貝殻の大部分が炭酸カルシウムで構成されていることから、安定した品質が確保できたようだ。問題は何にこの素材を使うのか。「コロナ禍を経て、次に日本にとって課題なのは、災害への対応ではないか」と思い、防災用のヘルメットの製作を考え付いた。ただ、ヘルメットにするには、しっかりとした性能評価が欠かせないが、同社の設備だけでは難しかった。

ホタテの貝殻をデザインした「ホタメット」
ホタテの貝殻をデザインした「ホタメット」

そこで、バイオマス資源を原料としたプラスチックの研究で著名な、大阪大学 工学研究科の宇山浩教授を訪ねた。本来なら突然中小企業が来ても相手にされないものだが、宇山教授は同社がコロナ禍の時にフェイスシールドプロジェクトに参画したことを知っていた。「そういう会社なら一緒にやりましょう」と丁寧に助言してくれた。貝殻の粉末の粒度と、配合するプラスチック原料の比率を何度も調整し、ヘルメットに成形しても強度が保てるものに仕上げ「ホタメット」と名付けた。ホタテをイメージした波型のデザインや、あわいブルーやピンクといったペパーミントカラーの色合いも、既存のヘルメットにはないおしゃれなイメージで評判となった。猿払村も同社の取り組みに全面協力し、貝殻の提供で関係が続いている。徹也氏は「貝殻の購入は高くはないが、代金を支払っている。山積み状態なら、ただのやっかいなゴミだが、有効利用することで資源に換えることができた」と言う。

ホタメットはホタテの貝殻から作られたエコプラスチックを原材料にすることで、二酸化炭素の排出量を36%削減している。同社は、製品やサービスの原材料調達から廃棄・リサイクルまでの全工程で排出される温室効果ガスの総量をCO2排出量に換算し、「見える化」して表示する仕組みであるカーボンフットプリントの認定も取得している。廃棄物の有効利用というサーキュラーエコノミーと、カーボンニュートラルの両面に貢献できる新製品が誕生した。

大阪・関西万博の公式ヘルメットに採用

万博で採用されたホタメット
万博で採用されたホタメット

ホタメットの開発が世に知られるようになると、「子どもの自転車用ヘルメットに使いたい」という問い合わせが相次いだ。ちょうど、2023年4月から自転車用ヘルメットの着用が努力義務化されていたタイミングだった。そこで、防災用に加え、自転車用ヘルメットも同時並行で開発を進めた。

万博会場に設置したホタテベンチ
万博会場に設置したホタテベンチ

同社は2025年に開催された「大阪・関西万博」にも参加した。徹也氏は「せっかく地元で開催される万博なので、運営側として関わりたいと思っていた」と言い、万博で使用する公式アイテムの公募に手を上げ、2度にわたり採択された。1回目は「ホタメット」が、会場用の備蓄ヘルメットと、万博の運営スタッフが自転車で移動する際に使用する公式ヘルメットとして採用された。2回目は同じ材料から制作した「ホタテベンチ」。清水建設と共同開発したもので、ホタテの貝殻を模したデザインで、会場内に置かれ、来場者の休息場所となった。

持続可能なモノづくりへ

父である南原社長(右)と 数年後に世代交代を見据えている
父である南原社長(右)と 数年後に世代交代を見据えている

万博で使用されたヘルメットやベンチは、万博閉幕後に希望する自治体に寄贈されることが決まっている。同社は中小企業として万博に参画したことで、さまざまなメディアに取り上げられ、知名度もあがった。大手の家電メーカーやファッション系などさまざまな業種の企業から提携の問い合わせが寄せられているという。中には海外からの話もあった。「ホタテの貝殻の活用を事業として安定させていくには、価値の訴求とともに、やはりコスト削減も考えていく必要がある。そのためには、一定の規模を確保するスケールメリットが大事。すでにさまざまな企業と量産化に向けた話し合いをしており、実現させたい」と将来構想を練っている段階だ。

徹也氏は、経済産業省・中小企業庁が主催する、中小企業の若手後継者・後継者候補が新規事業アイデアを競うピッチイベント「第4回アトツギ甲子園」(2024年)において、中小企業庁長官賞を受賞した。ホタテの貝殻を活用するプランが高く評価された。数年後には、父である社長から経営のバトンタッチも受ける予定だという。現在の売り上げ構成は、既存のプラスチック成型事業が9割以上だが、ホタメットのような自社開発製品の比率を5割に高めていきたいと考えている。

飛躍のきっかけとなった猿払村とは、今も交流が続いている。他の企業と連携して、猿払村にホタテの貝殻を使った遊具やベンチを配置した公園を作り、集客施設として運用するという話も浮上している。「貝殻の活用を進めることで、廃棄問題をゼロにしたい」という。「みんながウィンウィンとなる取り組みを模索することで、モノづくりへの魅力も再発見していきたい」と前を見据えている。

企業名
甲子化学工業株式会社
設立
1969年
資本金
1000万円
従業員数
17名
代表者
南原在夏 氏
所在地
大阪府大阪市東成区東小橋1-12-20
Tel
072-962-6012
事業内容
プラスチックを中心とする製品の設計・製造・販売、商品の企画デザインから量産支援、電動模型の設計・製造・販売