パリのアスリートを支える

世界的スポーツクライマーと共同開発のチョークで勝利と市場をつかむ【株式会社アクトビ(栃木県鹿沼市)】

2024年 5月 13日

地域の資源を活用して新たな価値創造を目指すアクトビの安生智基代表取締役
地域の資源を活用して新たな価値創造を目指すアクトビの安生智基代表取締役

道具を使わずに自分の体一つで壁を登っていくスポーツクライミング。壁に取り付けられた大小さまざまな形のホールドを確実につかむためのアイテムが、滑り止めとなるクライミングチョークだ。地域の資源を最大限に活用することをビジョンに掲げる株式会社アクトビは、競技に欠かせないチョークの新しいブランド「WISE(ワイズ)」を3年前に立ち上げた。同社の安生(あんじょう)智基代表取締役と同じ栃木県出身で、スポーツクライミングの第一人者、楢崎智亜選手と共同開発したものだ。地元・栃木という地域にこだわったチョークを手に、楢崎選手はパリ五輪での勝利を、アクトビは世界市場をしっかりとつかもうとしている。

「地域の資源」を生かして新たな価値の創造を目指す

2020年にアクトビとして再スタート
2020年にアクトビとして再スタート

同社の前身は、安生氏の祖父、金(きん)氏が1957年に栃木県鹿沼市で創業した安生呉服店。リヤカー1台で反物を販売し、小さな店舗を構えた。「物資が乏しい時代に着物を売り歩き、今で言えば社会課題のソリューションに貢献したといえる」と安生氏。その後、着物の需要が落ち込むなか、事業を引き継いだ父の優氏は婦人服を中心とした洋品店へと転換した。

安生氏は東京都内の大学を卒業後、郷里に戻って地元の地銀、足利銀行に就職。「もともと起業したいと考えて銀行に入った」という安生氏は、M&Aや事業承継を担当するなか、「地元の古い事業をM&Aなどでブラッシュアップしていき、その製品や技術を外に発信していきたい」との思いを強くした。

そして2020年5月、16年勤めた銀行を退職し、事業承継や経営支援のコンサルティングを手掛けるTSUNAGU(ツナグ、宇都宮市)を銀行の後輩とともに設立した。同年7月には個人商店だった家業を継いで株式会社アクトビとして再スタートさせた。その後、新設やM&Aによって障害者就労支援事業や緩衝材製造などグループ企業を誕生させ、現在はアクトビを含めてグループ5社で約100人を雇用している。「地元にある企業や人材などを連携させることで地域の資源を最大限に生かす。そこから新たな価値を生み出し、地域の雇用を創出していくことを目指している」と安生氏は話す。

楢崎選手と県内2社で“オール栃木”のプロジェクトチーム

宇都宮市出身の楢崎智亜選手
宇都宮市出身の楢崎智亜選手

「地域の新たな価値創造」を掲げる安生氏らがまず取り組んだのが宇都宮市出身の世界的スポーツクライマーである楢崎選手と地元企業の連携だった。同市内の高校在学中にワールドカップに初出場した楢崎選手は卒業後にプロに転向し、2019年の世界選手権などで優勝。スポーツクライミングが初めて公式競技になった東京五輪の代表選手に内定していた。安生氏は知人を介して楢崎選手と知り合い、楢崎選手が競技で使用するチョークを自分で作りたいと考えていることを知った。

一方、安生氏が銀行時代から経営支援に関わっていた伊藤鶏卵(栃木県上三川町)は廃棄される卵殻の有効活用を模索していた。卵殻には水分を吸収する性質があり、野球の投手が使用するロジンバッグにも卵殻の粉末が含まれている。チョークの主成分である炭酸マグネシウムに卵殻を混ぜる形での活用が可能だ。こうして楢崎選手と伊藤鶏卵の思いが合致。洋品店から衣替えしたアクトビは、チョーク製造のノウハウを持つスタッフを招き、新規事業として商品企画と製造販売を担当することに。県出身のトップアスリートと県内企業2社という“オール栃木”のプロジェクトチームが結成された。

競技の知育効果を表現するブランド名「WISE」

WISEのロゴ
WISEのロゴ

当初は楢崎選手専用のチョークとして製品開発がスタート。楢崎選手が納得いくまで卵殻の量や粗さを何度も調整した。「10回以上は作り直した。もうできないのでは、と思ったこともあった」と安生氏は振り返る。楢崎選手は手汗が少ない乾き手で、日本人では少数派。しかし、最終的に最小15ナノメートル(ナノは10億分の1)という超微粒子となったため、「指紋の溝の部分に入り込むようになり、グリップ力は段違い。乾き手だけでなく(手汗が多い)ぬめり手の人にも適している」という。

こうして出来上がったチョークは「WISE」というブランド名で一般向けの商品として販売されることになった。WISEはスポーツクライミングの知育効果を表している。とくに登り方を自分で考えるボルダリングは身体能力だけでなく思考力や集中力を高めると言われ、幼児の知能発達の効果が注目されている。「スポーツクライミングをすると賢くなるという意味でWISEと名付けた」(安生氏)。偶然にも楢崎選手、安生氏そろって名前に「智」があり、ピッタリのブランド名となった。

卵殻やリサイクル素材を商品に活用、SDGsを推進

WISEの商品。(左から)粉末チョーク、リキッドチョーク、チョークバッグ
WISEの商品。(左から)粉末チョーク、リキッドチョーク、チョークバッグ

2021年8月にクライミング用品ブランドWISEの第1弾として粉末チョークが発売された。東京五輪には間に合わなかったが、楢崎選手は自らが監修したチョークを練習や競技の際に使用している。その後も商品開発は続き、2022年にはリキッドタイプのチョーク、2023年には粉末チョークを入れるバッグが発売された。

このうちチョークバッグは、ファッションブランドのセレクトショップ「ARKnets」を運営するリストリクト(宇都宮市)とのコラボ商品。機能性とデザイン性を追求し、スポーツクライミングの枠にとらわれず、普段使いの小物入れとしても活用できるアイテムとなっている。また環境に配慮したリサイクル素材を使用し、アパレル業界の課題である衣料廃棄を考慮している。地元企業同士の連携だけでなく、「卵殻を活用したチョークと同様に、廃棄物を減らしていこうというSDGs推進という点でも共通している」と安生氏は話す。

パリ五輪代表の森選手も使用、知名度を高める絶好の機会

WISEを使って楢崎選手は勝利をつかむ
WISEを使って楢崎選手は勝利をつかむ

スポーツクライミングの第一人者が手掛けたチョークは、他のクライマーにも浸透していった。2023年の世界選手権でリード優勝、複合(ボルダリングとリード)3位となり、楢崎選手とともにパリ五輪の複合で代表選手となった森秋彩(あい)選手(茨城県山岳連盟所属)もその一人。茨城県龍ケ崎市内にあるトレーニング施設で楢崎選手がWISEのチョークを使っているのを目にし、森選手も使用するようになったという。

施設は、楢崎選手の妻で東京五輪スポーツクライミング銅メダリストの野口啓代(あきよ)さん(東京五輪後に引退)が実家の牧場を活用して整備したもので、楢崎選手や森選手をはじめ国内のトップアスリートが練習に訪れている。森選手は現在、WISEのサポートメンバーとなり、アクトビが商品を提供している。

WISEは自社ECサイトでの販売のほか、国内のクライミングジムでも取り扱っており、取り扱い店舗は約150。さらに韓国などアジア圏を中心に7カ国・地域に輸出している。安生氏は「今後は海外、とくにスポーツクライミングの本場であるヨーロッパの市場にアプローチしていきたい」と話す。

五輪種目に採用されたこともあって国内のスポーツクライミング人口は近年増加しているとはいえ、まだ60万人程度だ。一方、世界では欧米を中心に1500万人規模と言われる。「一人平均の年間消費金額を3000円とすると世界の市場規模は450億円。WISEは世界トップレベルの楢崎選手との共同開発商品であり、世界市場のシェア5%はつかみたい」と安生氏。栃木発のブランドは世界へと照準を合わせている。

クライミング人口が多いヨーロッパを主要ターゲットにしているWISEにとってパリ五輪は、ブランドの知名度を高める絶好の機会となりうる。楢崎選手、森選手の活躍と同時に、五輪初お目見えとなるWISEへの注目度にも安生氏は大きな期待を寄せている。

企業データ

企業名
株式会社アクトビ
Webサイト
設立
1957年
資本金
300万円
従業員数
約100人(グループ会社を含む)
代表者
安生智基 氏
所在地
栃木県鹿沼市下横町1301-3
Tel
028-666-0790
事業内容
スポーツ用品製造業、ロジスティクス事業