地元の姫路から大阪の養成所まで毎週、2年ほど通って卒業し、芸能事務所に所属。ここまでは声優になるために必要なコースとされる。あるとき、テレビ局の番組ナレーションの話がきた。オーディションを受けたところ最後2人というところまで選考に残ることができた。しかしその数日後、「事務所の力が弱くて負けちゃった」とあっさり仕事を断られ、「所属する意味があるのか?」と疑問を感じ、これをきっかけに芸能事務所を後にする。
トレーナーから「いい声をしている」と褒められたこともあり、なんとか声で仕事をしたい。しかしまだ実績もないうえに、声優事務所に所属していないためなんの後ろ盾もなくどうすればいいのかわからなかった。そこで畑氏は、スタジオ収録ではなく自宅で収録して自ら編集し、安く早く納品することができれば、そこに魅力を感じる映像制作会社があるのではないかと考えた。安いマイクと録音機材をそろえ、防音壁がないので布団に潜って外の音をシャットアウトしながら汗だくでサンプルを収録。制作会社やフリーランス向けの求職プラットフォームを利用するなどして、自己PRに努めた。
そこで初めてオファーされたのが、前述の仕事。1人で何役もこなさねばならないうえに370円という、高校生時代のバイトの時給よりも安いギャラを提示された。とはいえ、自ら奔走してやっと手に入れた、初めての「宅録」の仕事である。もちろん喜んで引き受けた。だが、同じ会社から何度か仕事がくるようになったとはいえ、条件は似たようなもの。しかも年に数回あるかないか、という程度。アルバイト生活から抜け出すことはできず、知人の舞台に立たせてもらったりして細々と活動は続けていた。そのころは「宅録」のライバルはおらず、維持費がかかるわけでもない。仕事は少ないが、純粋に楽しくて、不満はなかった。ただ、将来の見通しはまったく立っていなかった。