いざニューヨークへ
2006年にニューヨーク1号店がオープンした。前島社長は、海外1号店はニューヨークにと最初から決めていた。世界の中心に出店したいという想いもあったが、ニューヨーク出店はブランディングにもつながると考えたからだ。知人から、ニューヨークで寿司店などを展開する企業の紹介を受けた。独資ではリスクがあると判断し、2005年に共同で会社を設立し、出店準備に着手した。オープンまで1年を要した。
物件は現地のパートナーが見つけてきた。1号店はイーストビレッジに出店することになった。ここは日本人が多い地域だ。ビジネス街ではないが飲食店やショップがひしめき若者の多いエリアだ。流行に敏感な人も多いし、休日でも人がいる。最初は日本人に来店してもらい、その後は、日本人からの口コミでローカルの人たちにも来てもらうことを狙った。
開業準備はスムーズに進めることができた。ニューヨークでは、電気やガス、水道などのインフラが整っていないとその許可を得るにも時間がかかる。そこで飲食店の居抜き物件をラーメン店仕様に改修した。
茹で麺機などの設備や寸胴鍋などは日本から送った。食器は日本と同じものを現地で作ってもらった。
スープについては、使用する肉は現地調達したが、昆布、かつおぶしや煮干しなどは日本から空輸し現場で仕込んだ。それで、ある程度は日本に近い味を出せるが、全く同じものはできない。それは食材や火力の違いから生じるものだった。だしを取るための海産物などは日本から送ったが、輸送に時間もかかるため素材の質も若干変わってくる。スープ作りについては、2名の社員が時間をかけてじっくり取り組んだ。
米国は塩で味付けするので、メニューは塩ラーメンを中心に、醤油ラーメンなどを揃え、日本とほぼ同じレシピで作った。麺はロサンゼルスの日系製麺メーカーに依頼して空輸した。チャーシューなどは現地で作り、醤油、塩はベトナムの天日塩を送った。
ラーメンは1杯10ドル。チップを入れると1,000円程度と日本よりやや高め。ニューヨークの相場よりも高めだが、よいものを出すことにこだわり高めに設定した。
日本から派遣した2名の社員以外のスタッフは、現地のフリーペーパーなどに募集広告を掲載し採用したが、一部はパートナーの店のスタッフを配置してもらった。
滞りなく準備は進められたが、問題は店が完成した後に起きた。日本では、申請をすると数日後に保健所の検査が行われるが、ニューヨークでは検査日程を知らされることはない。店を作っても検査を受けなければオープンできない。オープンするまでの間、店のリース料や日本から派遣した2名の社員の人件費などがかかるため、資金的な余力が必要だった。せたが屋の店の検査が行われたのは、申請から10カ月後だった。日本人向けフリーペーパー2、3誌にオープン広告を掲載した。ニュースや地域情報などを掲載している地元誌にも大々的に広告を掲載した。
オープン日には、ニューヨークでこの味が受け入れられるのか、現地の日本人にはどのように受け止められるのかという思いがよぎり緊張したそうだが、そんな心配をよそにオープン前に50人ほどの行列ができていた。この状態は何日も続いた。
オープンして2、3日は日本人が多かったが、それ以降はローカルの人が多く来店した。非常に反応はよく、せたが屋1号店開店のニュースは、ニューヨークタイムスにも掲載された。「これからニューヨークでもラーメンブームが起きるかもしれない」という記事だった。実際、せたが屋はラーメンブームの火付け役となった。ニューヨークマガジンにおいては、2007年ベスト・オブ・ニューヨークの日本食部門の第1位に選ばれたほどだ。化学調味料を一切使わず、天然素材だけで旨みを出すというコンセプトがニューヨークでも受け入れられたのだ。