中小企業の海外展開入門

「ぬちまーす」新製法による独自の塩を世界へ

沖縄県うるま市にある株式会社ぬちまーす。その代表である高安正勝社長は40年間コツコツと発明を重ね、独自の塩を産み出した。それが「ぬちまーす」だ。

粉雪のようなパウダーソルト「ぬちまーす」

発明家の夢を叶える

子どもの頃から発明家になりたいと考えていた高安社長は、地元の大学の物理学部に進学した。卒業後、航空会社に入社し、運行管理業務を担当した。在籍している12年間にもさまざまな発明をした。

沖縄では洋蘭の栽培が盛んであるが、蘭の栽培は非常に難しい。そこで1984年に新しい洋蘭の栽培方法を発明した。その技術を活用するために退職し、自ら蘭栽培を手掛けることにした。

温室は冬の寒さをしのぐためにつくるが、夏は温室から熱を逃がし冷やす必要がある。水のしずくが蘭に落ちると傷がついてしまうため、霧を散布して温室を冷やす装置を発明した。そんな折に、塩の専売制が廃止されるというニュースを目にした。1997年のことだった。

そのとき高安社長は「温室を冷やす技術を応用すれば、塩をつくることができる」と直感したという。しかもそれだけでなく、「その技術を使ってできる塩は人体にもよい効能を持つのではないか」と考えた。生命の誕生と進化に興味を持っていた高安社長ならではの発想だ。

試行錯誤の結果、1998年6月に粉雪のようなパウダーソルトが完成した。誰も考えつかないような技術であったが、県の発明工夫展に応募しても入賞しなかった。そのような技術で塩ができることを信じてもらえなかったのだ。それほど革新的な技術だった。

事業化するためには設備投資の必要があったが、発明工夫展に入賞しない技術に融資をする金融機関はひとつもなかった。そこで、温室の蘭を撤去し、海水を汲んでトラックで運び温室で塩をつくった。温室の中で塩が降ってくる様子はテレビなどで取り上げられた。この技術は世界初の塩の製法であり、「常温瞬間空中結晶製塩法」として1997年2月にすでに特許を申請していた。その後、海外9カ国でも特許を取得した。

この製塩法でつくられる塩は、旧専売塩よりも塩分が25%低く、21種類ものミネラルが含まれている。また、モンドセレクション最高金賞と金賞を2006年から連続で受賞しており、その味のよさは世界的にも高い評価を受けている。それだけでなく、大学でラットを使った実験を行ったところ、ミネラル作用により塩分が体に溜まらないことや学習能力がアップすることなども明らかとなった。この塩は「ぬちまーす」と名付けられた。沖縄の方言で、「ぬち」は命、「まーす」は塩という意味である。

発明家から経営者へ

特許を申請した翌月の3月に会社をつくった。製塩業は一生の仕事だと思ったという。この製法でできた塩を多くの人に食べさせたいと思った。この塩が認められるには、10年から15年はかかると最初から考えていた。

売上は、会社設立後半年間で350万円、翌年は5,000万円、さらに翌年には1億円と毎年大幅に増えていったが、機械は手づくりだったためよく故障する。工業国日本においても、高安社長が必要としていた機械はどこにもなかったため、機械は自分でつくるしかなかった。

故障した機械の修理にもお金がかかった。毎年赤字であったため、会社設立8年目、赤字はかなりの額に膨れ上がっていたが、一方、売上もうなぎ上りに増加していた。

そこで設備投資のために金融機関に融資の相談に行くが、「担保は」と聞かれ、「ありません」と答えて会社に戻る。7年間、このような同じ会話が続いた。また、毎月給料日には、払うお金が足りないため、お金を借りて給与を支払っていた。

「借りれば給与は払える。そして給与を払うことができたら1カ月は営業できるし、夢に近づくこともできる」

このように考える高安社長にとって、借金は苦労ではなく楽しみだったという。そして、この繰返しで自然と信用ができてきた。高安社長は、こうなることは最初からわかっていたし、また、それゆえに夢を実現できたのだという。将来がわかっていなかったら不安で顔も暗くなってしまっていただろうし、そうなるとお金を貸してくれる人もいなくなる。

高安社長には確かな道筋が見えていた。それを実現できたのは、多くの人の助けがあったからだ。何十年も会っていない同級生や近所に住む友人、地元の名士などさまざまな人が資金を援助してくれた。

テレビを見たというある地方の会社は、「お金のない時に連絡をしなさい」と申し出、出資をしてくれた。食品製造業の社長も紹介をしてくれて、その企業も出資をしてくれた。

あるシンクタンクの社長も食品製造業を紹介してくれた。紹介してくれた企業すべてが出資や融資という形で支援をしてくれた。彼らは皆、この塩のよさを理解し、期待してくれていた。そして8年目にようやく金融機関からの融資を受け、工場も完成した。「15年かかると思っていたが、8年でできた。こんなありがたいことはないと思った」と、高安社長は振り返る。

ぬちまーす観光製塩ファクトリーの外観

ぬちまーすが世界に

2007年、「ぬちまーす観光製塩ファクトリー」が完成した。しかし、この工場では1分間に5リットルしか塩が生産されないため、完成と同時に生産量を増やす機械の開発に着手しなければならなかった。そして、あと3年で特許が切れるというタイミングで新しい機械が完成する目処が立った。新しい機械では、1分間に20リットルの海水を霧にすることが可能である。これまでの機械の4倍の生産量だ。2014年の中頃には完成し、工場も新設する予定だ。

ぬちまーすは、フランスやドイツの博覧会でも高い評価を得ていたが、沖縄から送ると輸送料がかかる。しかし、機械の性能が向上し大量生産が可能になれば、コストが下がるので、海外への流通量も増える。2013年12月には中国に販売する交渉も始まる。

高安社長は、国内外から講演を依頼されることも多い。中国にぬちまーすが流通することが決まったのは、西安と深センで開催された講演がきっかけだった。西安での講演は医学関係者からの依頼であった。

アメリカ大手通販サイトに口座を持っている企業からも、インターネット通販でぬちまーすを販売したいという話が来ている。

ドイツ食品見本市での「ぬちまーす」展示風景

ビジネスの話だけではない。2014年1月、高安社長はアフリカを訪問する。日本の政府機関とタイアップし、ある国の厚生省にプレゼンテーションを行うためだ。その国の女性にぬちまーすを摂取してもらい、どれだけ健康状態が改善されたかを測定する。ぬちまーすに含まれているミネラルが女性を健康にすることで、健やかな胎児が産まれ、また、出産で命を落とす女性も少なくなるはずだ、と高安社長は考えている。

スポーツ選手の中にも愛用者は多い。一度引退した選手が、高安社長の話に賛同しぬちまーすを摂り続けたところ、競技生活に復帰できただけでなく、国際大会でメダリストになったという事例まである。ぬちまーすのミネラル成分が、選手の健康状態の改善に貢献しているのだ。

ぬちまーすは九州・沖縄サミットの首相晩餐会でも使用されたが、2014年2月にはニューヨークで開かれる日本の精進料理の発表会でも使用されることが決定している。ニューヨークでは講演も行う予定だ。

高安社長は、国内外から講演を依頼されることも多い。ドイツ・ケルンでの講演風景

さらに広がる夢

新たな機械の開発で大量生産が可能となるため、ようやく海外にも本格的に広げることができるようになる。新たな技術開発に取り組んで6年経ち、これ以上の生産技術の進歩はないと言えるくらいのものが完成した。「明日にはできなくとも10年後にはできるかもしれない。継続していけば必ず答えが出る」と高安社長は語る。天才と言われる人が必ず口にする言葉だ。

高安社長の次の夢は、ぬちまーすがオリンピック公式塩に認定されることだという。現在はぬちまーすを使ったさまざまな商品開発にも取り組んでいる。3年後には、今のぬちまーす観光製塩ファクトリーにぬちまーすを使ったエステサロンの出店も計画している。発明家の夢はまだ終わらない。

企業データ

企業名
株式会社ぬちまーす
Webサイト
代表者
高安 正勝
所在地
沖縄県うるま市与那城宮城2768
事業内容
製造業(製塩)