あの人気商品はこうして開発された「飲料編」

「お~いお茶」価値を創造し“タダで当たり前”文化を打破

「あの人気商品はこうして開発された」 「お~いお茶」—価値を創造し“タダで当たり前”文化を打破 「お~いお茶」の前身となる「缶入り煎茶」が発売されたのが1985年。世界初の缶入り緑茶飲料だった。当時、お茶は家で飲むか、外出先でもタダで飲めるものという概念が強い時代。「お~いお茶」はなぜ、どのようにして誕生したのか。また、どのようにして市場を開拓していったのか—。その軌跡を追った。

1985年に世界初の缶入り緑茶飲料として発売された「お~いお茶」の前身である「缶入り煎茶」。今でこそ、お金を払って買う習慣が根付いているが、発売当時は水と同じように、お茶はタダで飲むものと考えられ、対価を払ってまで購入する文化はなかった。だが現在、緑茶飲料市場は、「2012年度は約3800億円、2013年には約4000億円になる」(伊藤園)と予測するまでに成長した。「お~いお茶」は市場形成の先駆的な役割を果たした。タダで当たり前だったお茶に価値を与え、消費者にお金を払っても飲みたいと思わせた伊藤園。そこには、妥協のない「自然のままにいれた香りとおいしさ」の追求と緻密な戦略があった。

リーフ市場の縮小に危機感

リーフ商品の販売からスタートした伊藤園(写真は現在の本社社屋)

伊藤園の前身となるフロンティア製茶は1966年に創業した(69年に商号を「伊藤園」に変更)。リーフ(茶葉)商品を販売する事業を手がけていたが、75年頃になるとリーフ市場が急激に縮小していったという。缶コーヒーや炭酸飲料の発売、ファーストフード店の出店などによる食文化の多様化・西洋化が背景にあった。

危機感を覚えた伊藤園は、次の一手を模索していた。とはいっても、創業から緑茶事業を本業にしてきた。餅は餅屋、異なる領域の事業で勝負するより、緑茶商品で新しい価値を創造できれば、成長スピードは速い。

当時、お茶は家庭で急須でいれて飲むものだった。飲料場面が固定化している中で「外でも飲める簡便性を備えた“アウトドア飲料”にできれば、利用シーンが増え需要を喚起できるのではないか」(伊藤園)と考えた。こうして“いつでもどこでも飲みたい時に飲めるお茶”=“缶入り緑茶飲料”の開発がスタートした。しかし、着手開始から、乗り越えなくてはならない問題が次々と涌いてきた。

酸化との闘い

緑茶は酸化しやすい飲み物で、急須でいれた緑茶は時間が経過するほど、品質が劣化してしまう。缶に緑茶を詰める時も同様で、加熱殺菌する際に、缶の上部に微量に含まれる酸素とカテキンなどが瞬時に反応して褐色になる問題点があった。

この問題を克服するため、缶の上部ぎりぎりまで緑茶を入れるなど、さまざまな方法を試みた。だか、解決するには酸素を抜く以外に方法がないとの結論に至った。研究を重ね、ようやくたどり着いたのが、缶の内部に人体に無害で水に溶けにくい性質を持つ窒素ガスを噴射し酸素を抜く方法だった。この製法は「ティー&ナチュラルブロー製法(T-Nブロー製法)」と名付けられた。

香りの変質を独自製法で克服

「お~いお茶」の前身「煎茶」。研究開発に約10年の歳月を費やした

酸化の問題をクリアできたと思ったが、すぐに次の試練が待ち構えていた。加熱殺菌することで、緑茶本来の香りが変化してしまい「サツマイモをふかしたような不快香」(伊藤園)が発生していたのだ。開発プロジェクトメンバーに課せられた条件は「自然のままにいれた香りにこだわる」こと。香りを変質させないようにする添加物の使用は一切認められなかった。

香りの変質は茶葉だけの問題ではなく、緑茶を抽出する温度や時間の長短も関連していた。そのため、これらを組み合わせて最適な香りを発見しなくてはならず、気の遠くなるような実験を繰り返す必要があった。「原料茶葉のブレンド、秒単位での抽出時間の調整、1度単位の抽出温度の調節など、約1000通りの組み合わせを試した」(同)。その結果、ようやく最適な組み合わせを発見することに成功した。

茶葉の酸化と香りの変質の問題に費やした研究期間は約10年。1985年、世界初の缶入り緑茶飲料は発売された。ただ、この時の商品名は「お~いお茶」ではなく、「煎茶(せんちゃ)」という名前だった。

「お~いお茶」に変更

伊藤園は卸売業者をほぼ通さず、ルートセールス方式による直接販売体制をとっている。独自の販売網を生かして、完成した缶入り緑茶飲料「煎茶」を小売店や酒屋に持ち込んだ。しかし、お茶はタダで飲めるものという概念が強い時代、営業してもなかなか取り扱ってもらえなった。弁当と一緒に販売するなどの工夫をこらし、取り扱い店舗を徐々に増やしていったが、それでも店舗から追加注文が来ず「伸び悩んでいた」(同)。

俳優の島田正吾氏を起用したTVCMでのフレーズが商品名のヒントに

そんな時、消費者からある問い合わせが来た。「煎茶の読み方がわからない」—。“煎茶”という商品名は急須でいれたときと同じ高品質を訴求するために付けたが、消費者に覚えてもらえないネーミングではブランドは浸透しない。商品名を変更する必要があった。

伊藤園が緑茶のイメージについて調査したところ「家庭的」や「日常性」というキーワードが浮かび上がった。親しみやすく頭に残るブランド名を考え候補にあがったのが「お~いお茶」だった。このフレーズは、俳優の島田正吾氏を起用したリーフ商品のTV-CMで使われており、認知度は高く、言葉の響きもやんわりとして伝えたいイメージにぴったりの言葉だった。

ネーミングの変更効果は的確にあらわれた。発売した翌年(1986年)の売り上げが約6億円で、その後数年は微増で推移したのに対して、「お~いお茶」に変更した1989年は、40億円に跳ね上がった。

ペットボトル入り緑茶を投入

1996年に特許を取得した「ナチュラル・クリアー製法」の概要

1990年、伊藤園は世界初の商品をもう一つ発売した。ペットボトル入り緑茶飲料(1.5リットル)だ。

商品開発でプロジェクトメンバーを悩ませたのが「オリ」と呼ばれる沈殿物の存在だった。人体に無害なため、缶入りの商品では問題にならなかったが、ペットボトルの容器は中身が透けて見えることから見栄えが良くなく消費者に誤解を与えてしまう恐れがあった。

緑茶を薄く作り香料やエキスを添加すれば問題は解決するが「自然のままにいれた香りとおいしさ」にこだわる伊藤園では許されない。

オリが発生する原点に返ると、微細な茶殻が残ってしまうことに行きついた。そうだとすれば、茶こしを限りなく細かくできれば、オリは取り除けるはず。緑茶抽出液を微細にろ過しながら、お茶の香りやおいしさに結びつく成分は通すフィルターを使った製法を開発した。同方法は「ナチュラル・クリアー製法」と呼ばれ、1996年に特許を取得した。同年には、500ミリリットルペットボトル入りの「お~いお茶」を発売した。

ペットボトル入りと缶入り「お~いお茶」は製法だけでなく、茶葉も異なっている。缶入りに比べ、ペットボトル入り商品はのどの渇きを潤す「止渇性」が強いと判断。濃いお茶の味を全面に出さずに、香りを重視した設計にしている。そのために、蒸し時間が比較的短い「浅蒸し・中蒸し」の茶葉を使用し、すっきりとした味わいとともに香りが強く感じられる商品に改良した。

おいしさは妥協しない

「お~いお茶」の累計出荷数は200億本(1989年-2011年累計、500mlペットボトル換算)

伊藤園によると、2012年度の緑茶飲料市場は約3800億円。同社のシェアは約4割で、1985年の缶入り緑茶飲料の発売以来、シェア首位を続けているという。「お~いお茶」の累計出荷数は200億本にのぼる(1989年-2011年累計、500ミリリットルペットボトル換算)。2003年には花王の「ヘルシア緑茶」が、2004年にはサントリーの「伊右衛門」が発売され「市場規模は3000億円台から4000億円を超えた。社内では第4次緑茶戦争と呼んでいる時期で競争が激しかった」(伊藤園)。

し烈なシェア争いの中でも、トップシェアを維持できたのは「常に品質を重視し、お客様に選んでもらえるような商品設計にしてきたから」(同)という。

その現れが、70年代から続けている茶葉の「契約栽培」と、2001年から取り組んでいる遊休地を活用して茶畑を造成する「新産地事業」の2つの取り組みからなる茶産地育成事業だ。新産地事業は地方自治体や地元企業が主体となり、伊藤園は栽培方法などのサポート役を担っている。現在、これらの事業による茶葉の作付面積は全国で、860ヘクタールほどだが、今後は2000ヘクタール規模を目標に事業展開していく方針だ。

品質の維持・向上を図るための種をまき続ける(写真は宮崎県都城市の契約茶園)

もう一つ、1985年から続けている「後火(あとび)仕上げ」がある。茶葉を形や重さごとに分別してから、それぞれに適した火入れ乾燥をさせる。

半製品の茶葉(荒茶)の状態のまま火入れ乾燥させる先火(さきび)方式よりも種類分けする分、生産効率が下がる。だが「大きさが異なる茶葉を一緒に火にかけると、細い茶葉は焦げてしまい香りや色合いが悪くなる。香りや味わいを重視する伊藤園では欠かせない方法」(同)という。おいしさを妥協せず追求する精神が伊藤園には受け継がれている。

企業データ

企業名
株式会社伊藤園
Webサイト
代表者
代表取締役社長:本庄大介
所在地
東京都渋谷区本町3-47-10

掲載日:2013年6月26日