2026年 4月 27日

武野團代表取締役
武野團代表取締役

指先を装置に差し込み、数秒待つ。モニターに映し出されるのは、赤く細い毛細血管が折り重なるミクロの世界だ。血管がヘアピンのように整然と並び、透明感があれば良好な状態とされる。一方、血管が短かったり、ねじれたり、周囲が白く濁ったりしていれば、生活習慣の乱れや体調不良の兆しが疑われる。大阪市中央区のヘルスケア機器メーカー、あっと株式会社が開発した「毛細血管スコープ」は、採血も放射線も使わず、指先から全身の状態を読み解くことを目指す装置だ。体重計や血圧計に続く「新しい健康指標」となるものをつくる──。その発想は、一人の発明家の問いから始まり、大学との共同研究を経て、万博、企業連携、海外展開へと広がりつつある。

原点は父の病と「もっと早く気づけなかったか」という後悔

照男氏が開発した「血管美人」
照男氏が開発した「血管美人」

あっとの原点は、現代表取締役の武野團(たけの・だん)氏の父、照男氏の体験にある。照男氏は「街の発明家」として数多くのアイデア商品を生み出してきたが、人生を大きく変えたのが、自身が大腸がんを患ったことだった。「病気が見つかったとき、もっと前に何かサインはなかったのだろうか」。そう考えていた時に出会ったのが、『毛細血管像と臨床』という医学書だった。毛細血管は血管全体の約99%を占め、栄養や酸素を細胞に届ける生命活動の最前線にある。生活習慣、加齢、ストレスなどの影響は、太い血管よりも、まず末端の毛細血管に現れることがわかってきた。すでに著者の小川三郎先生は故人となっていたが、照男氏は小川先生が生前、毛細血管の血流を測る機器を作りたいと言っていたことを聞き、装置の開発に取り組むことを決意した。

2003年ごろ、照男氏は顕微鏡とカメラを組み合わせ、指先の爪床毛細血管を拡大観察する装置「血管美人」を完成させた。爪に液体を塗って装置にその指を入れるだけという簡単な動作で、自分の血管が見えるという体験は、多くの人に驚きを与え、テレビ番組などでも紹介されて評判になった。しかし当時、この技術は「面白いが、科学としては曖昧」という評価にとどまっていた。

2009年起業──技術を「文化」で終わらせない

照男氏の死後、その技術を引き継いだのが武野團氏だった。武野氏は大学で中国文学を学び、電子部品メーカーに就職。香港での勤務経験も積んだが、母親の介護など家庭の事情で退職し、父の技術を社会に残す道を選んだ。

そして、2009年に設立したのが、あっと株式会社だった。社名は、メールアドレスの「@(アットマーク)」に由来する。情報があふれる社会の中で、健康に関する正しい情報へつながる「ハブ(hub)」のような存在になりたいという思いを込めた。だが起業は容易ではなかった。父が開発した「血管美人」は、投資家や専門家からは、「本当に医学的に意味があるのか」「エビデンスがない」と厳しい指摘が相次いだ。武野社長自身も、「父の技術がこのままでは“エセ科学”的な存在として消えてしまう」という危機感を強めていった。

「科学にする」ため大学の門をたたく

転機は、産学連携の現場だった。武野社長は、大阪産業局が運営する中小企業・創業支援の総合拠点である大阪産業創造館で行われていた「研究を事業化するプロデューサー養成講座」に参加、そこで産学連携を数多く手がけてきた人物の紹介で、大阪大学の研究者と出会った。ただ、当初は研究者の先生からも、「数値化できなければ評価できない」とはっきり指摘された。最初の大きな壁は、共同研究費の確保だった。資金調達に奔走するも、「本当に研究対象になるのか」という懐疑的な声も多かった。しかし2013年に、大阪市のイノベーション創出補助金に採択され、研究の糸口をつかんだ。共同研究は、大阪大学医学部保健学科を中心にスタート。数学者や画像処理の専門家も加わり、毛細血管画像の定量化アルゴリズムの開発が進められた。

「見る」から「測る」へ──定量化の苦闘

健康な人の毛細血管(左)と糖尿病網膜症患者の毛細血管(右)
健康な人の毛細血管(左)と糖尿病網膜症患者の毛細血管(右)

共同研究のテーマは明確だった。「毛細血管を、誰が測っても同じ評価になる指標ができるか」。血管の長さ、太さ、本数、蛇行度、透明度、血流のパターン——。これらを画像処理によって抽出し、数値化する。熟練者の勘や主観を排し、再現性のある評価を目指した。この共同研究成果により数値化に成功したことで、理化学研究所を含む複数の研究機関とも連携が広がり、「未病」という状態を毛細血管から捉える可能性が議論されるようになる。研究対象は健常者から、生活習慣病リスクの高い層へと拡張されていった。

大きな成果となったのが、東北大学との共同研究だ。世界で初めて、指先での毛細血管測定が糖尿病網膜症の早期発見や重症度予測を補完する簡便な指標になり得ることが示された。この研究は、2023年に東北大学とあっとの連名でプレスリリースとして発表され、同時に国際学術誌にも掲載された。「毛細血管は、全身疾患の“末端の鏡”になり得る」。この成果によって、毛細血管スコープは単なる健康チェック機器ではなく、医学研究に耐え得る測定ツールとして評価されるようになった。以降、緑内障など他の疾患との関連研究も進んでおり、将来的に新たなスクリーニングツールとしての社会実装が期待されている。

10大学超と連携、研究テーマは次の段階へ

現在、同社は10以上の大学や理化学研究所などの研究機関と連携し、毛細血管を軸とした研究を継続している。これまでの主な対象は健常者や予備群だったが、武野社長は「『本丸』は糖尿病をはじめとする生活習慣病」だという。「将来的には、毛細血管改善薬の評価や、薬が正しく服用されているかのチェックにも使える可能性がある」と語る。数百億円規模ともいわれる関連市場を見据え、製薬企業との連携も模索する。医療機器としての位置づけについては、まずは登録のみで製造・販売が可能なクラスⅠ医療機器としての登録を視野に入れ、将来的には保険収載につながる承認取得も目指していく。

未病段階からリスクを評価

毛細血管データを活用した次の挑戦が、「将来の生活習慣未病リスク評価システム」だ。これは「あなたが将来、糖尿病になるリスクはこの程度です」といった形で提示できる仕組みを目指している。クラウド上で解析し、生活習慣病や老化、ストレスなどの健康状態を、未病段階から評価するアルゴリズムづくりに取り組んでいる。完成目標は2030年だ。

また、具体的な社会実装の拠点として、「毛細血管ラボ・社会実装コンソーシアム」をNPO法人近畿バイオインダストリー振興会議と共に2021年に設立した。委員長には髙倉伸幸大阪大学微生物病研究所教授が就いた。同コンソーシアムには、大学の医師や研究者、さらには製薬企業・食品メーカー・臨床検査会社などが参画し、毛細血管指標データを活用する社会実装を推進している。

技術は完成、次は「どう使うか」

最新の自動毛細血管スコープSC-20は約4秒で36項目を解析できる
最新の自動毛細血管スコープSC-20は約4秒で36項目を解析できる

現在、同社の毛細血管スコープは、指先を置くだけで、約4秒で36項目を解析するまでに進化した。表向きには5項目程度を分かりやすく見せ100点満点でスコアとして示す。裏側ではデータベースの蓄積からAIなどを活用したアルゴリズムが走る。また、測定した人のスマートフォンで、装置にあるQRコードを読み取ると、測定結果がスマートフォン上に表示され、実際の血管の画像とともに点数が示され、保存もできる。

武野社長が目指す姿は明確だ。「操作員が必要な装置ではなく、血圧計のように誰でも使えるものにしたい」。これまでに実施した実証実験は、一般社団法人 健都共創推進機構の協力を得てJR岸辺駅近くの施設などで進められ、クリニックの健康イベントでは「ご自由にお使いください」と置いておくだけで、初見の人が説明書を読み、自力で測定する姿が見られたという。

薬局からリテールへ、BtoBtoCの戦略

販路は調剤薬局やドラッグストア、クリニックへと拡大を計画している。設置台数は累計で2000台超、測定データは5万人超となった。既存タイプは売り切りが中心だったが、新型ではクラウド解析と組み合わせた月額モデル、リース、導入パックも用意。データが蓄積されるほどアルゴリズムが最適化・高度化され、サービス価値が高まる設計だ。さらに、健康食品やリカバリーウェアメーカーなどに対して、血流変化を“見える化”する手段として毛細血管スコープの活用を提案するといった販路拡大にも取り組んでいる。さまざまな業種の企業と連携し、エンドユーザーである消費者にアプローチするBtoBtoC戦略を推し進めていく。

万博がもたらした「レガシー」

万博での展示は大きな注目を集めた
万博での展示は大きな注目を集めた

大阪・関西万博では、中小企業庁と中小機構が共同で出展した「未来航路」を始め「フューチャーライフエクスペリエンス」など、複数の展示館で約30日間展示を行った。実際に自分の毛細血管画像や健康レベルが分かることから、行列ができる人気ぶりだった。現地で自分の毛細血管画像を見た子どもが「いい毛細血管を育てるために野菜を食べる」と宣言する場面もあり、武野社長は「健康教育としての効果も実感した」という。

ビジネス面でも、会場で毛細血管スコープを見た薬局の経営者から問い合わせが相次ぐなど、販路開拓にも役立った。さらに、大阪府が万博の成果を次世代に実装するための実証実験プロジェクトにも参画するなど、万博参加を契機に、知名度の向上や開発の深化にも役立てている。

海外展開と「持たざる経営」

海外展開にも乗り出している。JETROの支援で、医療系スタートアップの海外展開を後押しする事業に参画し、オーストラリアでニーズ検証を行った。現地で実際に毛細血管スコープを持ち込んで体験してもらう取り組みを行った。また、英国への足掛かりもつくった。英国では国民保健サービス(NHS)によって、医療は原則無償で提供されている。しかし、国の予算削減で医療サービスの質の低下や待ち時間の長さ、医療従事者不足といったさまざまな課題が生じており、改革の必要性が指摘されている。そこで、同社の毛細血管スコープを病院に行く前の「前さばき」として活用することを提案している。英国の医療業界に精通するメンターが付き、具体的な展開計画を進めているという。

世界中の健康を守るデータ基盤へ

「毛細血管による新しい指標の研究に取り組む」と語る武野社長
「毛細血管による新しい指標の研究に取り組む」と語る武野社長

2026年3月に、株式投資型クラウドファンディングを実施。目標を上回る資金調達を実現した。同社はこれまで企業やベンチャーキャピタルから出資を受けてきた。クラウドファンディングの実施について、武野社長は「万博出展を通して、一般消費者から高い関心を持ってもらえた。個人投資家にも当社の事業についてアピールできるタイミングだと考えた」と説明する。

「世界中の人々の健康を見守る」——同社が掲げた企業理念だ。そのために、世界中の健康データを預かり、価値を返す仕組みをつくりたいと考えている。武野社長は「今後は国内の市場開拓はパートナーに任せ、自分は毛細血管指標の研究開発に集中したい」と語る。同社の取り組みは、政府が掲げる「攻めの予防医療の推進」にも合致する。毛細血管から新たな健康指標づくりを目指す同社の挑戦は、大学、企業、行政、そして世界へと広がりつつある。

企業データ

企業名
あっと株式会社
設立
2009年11月
資本金
53,375,000円
従業員数
9名
代表者
武野團 氏
所在地
大阪市中央区今橋2-2-17 今川ビル3F
事業内容
健康検査機器の開発製造および販売、健康事業社へのコンサルティング及び物品販売など