ガリガリ君の開発・発売元である赤城乳業の創業は1931(昭和6)年。井上秀樹社長の祖父徳四郎氏(故人)が、前身となる個人営業の天然氷販売店「ヒロセヤ」を埼玉県の深谷駅前に興し、61(昭和36)年に株式会社赤城乳業に改組し現在に至る。
赤城乳業になって3年後の64年、大衆食堂などの食べものだったかき氷をカップに入れて駄菓子屋などで発売した。「赤城しぐれ」という名のかき氷アイス。これが大ヒットし、たちまち同社の中核商品となった。
その後の10年余は経営も順風満帆に推移した。が、73年と79年の石油ショックの影響で同社の収益も圧迫されると、赤城しぐれの価格を30円から50円に値上げした。ところがこれが裏目に出た。値上げの影響で売行きがかげり、経営が空前の苦境に立たされてしまったのだ。
そこで当時の専務・開発本部長だった井上秀樹氏が満を持して新商品の開発に乗り出す。開発チームの中軸には現常務・開発本部長の鈴木政次氏を起用。この井上・鈴木コンビの自由奔放で融通無碍な発想がガリガリ君を生み出した。
子どもたちが遊びながら赤城しぐれを食べられるようにしたい。それが発想の原点だった。かき氷にスティック(棒)を挿入すれば、片手で持って遊びながらでも食べられる。そう考えて開発したのがガリガリ君だった。
81年、ガリガリ君を発売。当時の状況について営業本部営業統括部次長マーケティング担当の萩原史雄さんは説明する。
「子どもが遊びながら食べられる。そんなシンプルな発想から生まれたガリガリ君ですが、かき氷を片手で持つという“ワンハンド化”はナショナルブランドでは初めての商品で、大いに売れました。ところが、発売当初のガリガリ君は単にかき氷を固めただけなので、運搬中の振動や店頭で重ねて置くために袋の中でバラバラに崩れてしまい、クレームの原因にもなりました。これではいけないということから、かき氷をアイスキャンディーの薄い膜で包んで崩れにくくしました」
薄いアイスキャンディーの膜(シェル)の中にかき氷が充填されている。これがガリガリ君の構造。その製法はいたってシンプル。まず、アイスの金型に液状のアイスキャンディーを流し込み、冷やして外側だけを固める。このとき外側は薄いシェル状態に固まっているが、中はまだ液体の状態。この液状のアイスキャンディーを抜き取り、空洞になったシェルの中にかき氷を充填して完成。現在も変わらぬ製法だ。